「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

長生村日記


時食住  五右衛門風呂 

時食住  五右衛門風呂

里好房の五右衛門風呂
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山から降ろした広葉樹の除抜材あるいは間伐材を丸太大にチェンソーで40センチ程の長さに揃える 
チェンソーは支点二カ所が支えなら歯が噛むので下から歯を入れる 
支えが支点が三点であるならば迷い無く上から歯を深めな位置で噛ませることができる
佐田林業さんから教わったが、チェンソーはきっともっと奥が深い。
40センチ大の丸太を切り株の上に置いて薪割り斧を重力に任せて振り下ろす。
素直な丸太は綺麗に割れる。
切りたてのシャバシャバの丸太は素直に割れてくれない。
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薪ストーブには乾いたナラの薪が炉にちんちらと赤い灯を灯しながら
時折爆ぜる音が静間をよぎる
時計型薪ストーブなら15分で水からお湯が沸く
祖父祖母の使っていたものなので
40年はとうに使い古しているサビだらけの薪ストーブ
火鉢一つに対して六つの炭と竹炭三枚あれば、餅が表裏8分で焼ける
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火鉢一つに対し六つの炭では部屋の温度はさほど変わらないが
火鉢を二つにして十二本の炭と六枚の竹炭、
薪ストーブで部屋の温度が2度上がる 
私の家には祖父母がかつて使っていたものが沢山生きている。
昔のものは長持ちする様によく造られていると心から想う。

ここからは祖父母が戦後に手造りで建てた長野の家、
かつての里好房(りこぼう)の話。

五右衛門風呂の釜の側面には浅間山の噴火時に出た軽石をセメントで着せている。
風呂釜の約一メートル下方より薪を焼べる焚き付け口がある
そこはお勝手よりやはり一メートル下段に位置していて
すぐにタキギを採りに出易い様に外界と通ずる様になっている
窯の入り口から古びたタウンページの132ページ目を破り丸めて
その上にたきぎをのせて火が安定したら
その上に火持ちのよい広葉樹の薪を焼べる
火が弱くなれば団扇に手を添えて叩く様に風を送る
時計型薪ストーブと同じく、しばらく放っておいた時には
薪の残り火が少々あるならばその上にタキギをのせて火吹き竹で炎を復活させる

五右衛門風呂は慣れなければ入れる熱さになるまで3時間はかかる
日暮れ前に焚き付けを始める
五右衛門風呂は底が煮えたぎっている為、必ず落とし蓋を足で沈めながら入る
又、焚き付け口から上方へ位置する部位に背中を当てると大やけどするので、
絶対に背中を触れてはならない位置がある。
入浴者へ酒や虹鱒の燻製を差し入れ出来る小窓を作っておいたのも祖父の粋な計らいだ 

火の番人「湯加減如何ですか?」 
お風呂の中の人「おっいいあんばいだ」
もしくは お風呂の中の人「もうちょっとくべてくれ」 
あるいは お風呂の中の人 「ぼんぼんもしてくれ」 

これが合言葉
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# by grovewell | 2014-03-22 01:17


日本蜜蜂の巣箱(ゴウラ)造り

本日は佐田君と日本蜜蜂の巣箱(ゴウラ)造りの日でした。
ゴウラの巣門をスズメバチが入らない大きさに、まるで蜜蜂そのものになったような感覚で造りました。
丸太をチェンソーでくり抜いたものと、
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杉板で造ったもの、
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それぞれ人が踏み入れない、ここだっというベストな位置に配置完了しました。 
これから蜜蜂さん達がエッサホイサと訪ねに来てくれるのを心待ちにしながら
蜂おじさん二人はワクワクを隠しきれない感じです。

さて、どうなることやら。  祈

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# by grovewell | 2014-03-15 19:21


「JAPAN FESTIVAL2012 IN LONDON」 陸前高田市の「けんか七夕太鼓」

ロンドンオリンピックの地で開催される「JAPAN FESTIVAL2012 IN LONDON」において、陸前高田市の「けんか七夕太鼓」が出演することとなりました。
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「世界中からの支援を受けて日本からの『ありがとう』」を一つのテーマとしたこのフェスティバルで、震災から立ち上がる伝統芸能を全世界に披露いたします。

気仙町けんか七夕祭りは900年の長い歴史と伝統があり、岩手県の民族無形文化財にも指定押されている山車七夕祭りです。その山車の上で鳴らされる「おはやし」を舞台用に脚色したものが「けんか七夕太鼓」です。

今回、この「けんか七夕太鼓」がフェスティバルに招待されたことは、陸前高田市の誇りであり、被災者にとっては本当に喜ばしい明るいニュースで人々に多くの笑顔をもたらしています。
メンバーの多くが被災し、叩き手数名が亡くなったこともあり、LONDON行きが決定するまでには紆余曲折ありました。
しかし、今はメンバー全員が思い切り陸前高田の伝統を、「けんか七夕太鼓」のリズムを世界に届けたいと張り切っております。

そこでマス・メディアの皆様にお願いがあります。

「けんか七夕太鼓」がLONDONで打ち鳴らされている模様を被災地に届けていただけないでしょうか。それが、被災者に多くの力と笑顔をもたらすことは間違いありません。どうかお取りはからいのほど宜しくお願い申し上げます。

けんか七夕太鼓映像= 



                  
『JAPAN FASTIVAL 2012 IN LONDON』
日 時: 2012年7月25日(現地時間)
場 所: ロンドン・ブロードゲートサークル (UK)
主 管: JAPAN FASTIVAL 2012実行委員会

※ 出発までに陸前高田市にて数回のリハーサルを行う予定です。
LONDONの本番及び国内リハーサルを取材していただける方は下記に御連絡下さい。


岩手県陸前高田市
企画部協働推進室
TEL 0192-54-2111
FAX 0192-54-3888
報道担当主査 : 古賀龍一郎 



Es.U.Es Corporation様よりメールを頂きました。

世界中の方々へ陸前高田市の「けんか七夕太鼓」の音が鳴り渡ります様御祈り申し上げます。
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# by grovewell | 2012-06-13 10:39


軍道紙(和紙)の紙すき体験(紙漉き体験)

あきる野ふるさと工房にて軍道紙(和紙)の紙すき体験(紙漉き体験)をして参りました。
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「こうぞ」
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「こうぞ」、「みつまた」、「とろろあおい」 を使って 和紙が出来上がるまでの行程↓
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"船"の中に "こうぞ""とろろあおい”を叩いたもの(ぬるぬる)"水"を混ぜて かき混ぜる(空気を入れながら素早く)
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かき混ぜている最中、日本酒造りの杜氏を思い出して、
和紙造りでも"歌"を歌いながらやったりするのですか?と尋ねると、
「よくお気付きになりましたね、 昔から "紙漉き歌"というものや、 とろろあおいやこうぞを叩く時に歌う唄なんかあったそうですよ」 と教えて下さいました。  かき混ぜていると唄を歌いたくなりました。
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縦にちゃぷちゃぷ、横にちゃぷちゃぷ   何度か繰り返します。
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ゆっくりめくって。
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出来上がり!

あきる野ふるさと工房/ 軍道紙の家
http://akiruno-furusatokobo.a.la9.jp/

体験が終わった後に、ふるさと工房の皆さんと輪になってお茶を飲みました。
ふるさと工房の社長さんは、なんと 「とろろあおい」 から かりんとうを作ってしまうという発見をしたそうです!
発見大好き、明朗快活終始ニコニコなアイディアマンでした。

伝統的な軍道紙の紙すき体験(紙漉き体験)、本日も午前中は三鷹の小学校四年生が体験しに来ていたそうで、課外授業などで此処を訪れる学校も多い様です。

世界でたった一枚だけの和紙造り。

後世に残していきたいですね。


本日の一言:  和紙の紙漉きは農家の冬仕事

和紙の紙漉きは、昔から農家の冬の仕事であったそうです。
「こうぞ」と「とろろあおい」「水」をかき混ぜる行程がありましたが、ここでもキンと冷えた冷水で作業をします。
冬場でなければ「こうぞ」と「とろろあおい」の混ざり具合が悪く、夏場ではすぐに固まってしまったり、分離が起きてしまう様です。  季節を生かした伝統的な和紙づくり、今まで年がら年中造る事が出来るものだと思っておりましたが、季節によって出来映えが違うのですね。 勉強になりました。
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# by grovewell | 2012-02-20 23:32


冬化粧が美しい高野山へ行って参りました

つい先月になりますが、冬化粧が美しい高野山へ行って参りました
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深夜、東京から車を走らせて休憩を挟みながら、なんとかお昼には和歌山県の高野山へ到着を致しました。
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まず始めに向かいましたのは、奥の院です。  巡礼にも順序がある様です。
奥の院までの道中は深い森の中でして、樹齢数百年はあろう大木が私達を出迎えて下さいました。
静かに、厳かに流れる高野山の透き通った空気に心洗われるような感覚でございました。
平成27年には弘法大師高野開創千二百年を迎える高野山。
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宗祖弘法大師は千二百年も前から、仏様に誓願され
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば 我が願いも尽きなむ
 (この世の生きとし生けるものが生き続ける限り、それらの全てを救済し続ける)
と叫ばれ、衆生救済の永遠の御入定(坐禅)に入っておられます。その願いは全ての宗派や身分・職業・果ては国境をも越えて生き続けています。
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突然の来院にも関わらずあたたかく出迎えて下さった"無量光院"にて宿坊体験を致しました。
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朝は五時頃から一時間半に渡る護摩を経験致しました。

※密教の基本的修行に、「四度加行(しど-けぎょう)」というのがある。真言密教の最高の秘法を受ける儀式
である伝法灌頂(でんぽうかんじょう)に入壇(にゅうだん)する前提として、一段と力を加えて、十八道(じゅう
はちどう)・金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)・護摩(ごま)の四種の修法のことで、これは空海
が師の恵果阿闍梨(けいか-あじゃり)の教えに従って定めたものである。

来院者の中には、四国遍路ひとり歩き同行二人を終えて高野山へ辿り着いた方もいらっしゃいました。
又、凸版印刷の方で、高野山に存在する曼荼羅や経文などの永久保存をアーカーイブとして残すお仕事をなさっている曼荼羅復元再生プロジェクトリーダーの方とも出会いました。 並々ならぬ想いで、此処へいらっしゃっている方々の貴重なお話を伺う事が出来、私は出会いの素晴らしさに感無量となりました。

凸版印刷では、印刷博物館にて企画展示が行われております。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html



精進料理
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※今日のひとことわざ

-お茶にまつわる「ことわざ」-
◆朝茶は三里行っても飲め◆
忙しくて時間が無く、朝にお茶を飲まずに出かけた時でも、せめて途中でお茶を飲めという意味です。
これを強調したものとして「朝茶は七里帰っても飲め」と いうことわざがあります。
里は距離を表す単位で約4キロ。七里は28キロになりますが、それだけ引き返しても、朝にお茶を飲むことは大切であると伝えてい ます。「朝茶はその日の難逃れ」からきています。

この言葉は”無量光院"のご住職様より改めて教えて頂きました。
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# by grovewell | 2012-02-20 22:55


地元散策 しび散歩:手描き友禅と子供達のイチョウ遊び

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手描友禅 高木枝芳展
手描き友禅の体験が、 こちらで明日、明後日と体験出来るそうです!

染めの街中井にて、小さな作品展を開いております。
季節に合わせた作品の展示や、
小風呂敷、ストールなどの小物を販売しております。
帯やお着物のご注文もお受け付けておりますので
お気軽にお立ち寄り下さい。
開催時間 11:00~17:00
12月16日(金)、17日(土)、18日(日)
http://www.sihou.jp/index.html

川沿いの古民家、友禅ギャラリーを拝見。

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素敵な友禅の作品達の色彩の鮮やかさに、
工房をやっていらっしゃる方々の感じもとてもあたたかく、
冬の寒さを忘れてしまうほっこりした一時でした。

地元の公園でいちょうの落ち葉をかき集めている少年達を発見!
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「お手伝い偉いね〜」と声をかけると

少年
「違います。 この落ち葉でベッドを作るんです!  
皆背中に向かい合って ベッドに倒れかかる遊びをするんです! 遊びです!」

と丁寧に訂正されてしまいましたが、    
ゲームやテレビで遊んでいる都会の子供が多い中、
こうやって自然と共に遊んでいる事に、ワクワクしたのと   
いいなあ 仲間に入れて欲しいなあ と思ったのでした。

冬なのにランニングの子も!    強いな〜!


以上、 地元散策 しび散歩でした


来年の2012年 2月には また「染の小道」が開催されますよ!
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染の町「中井」を どうぞ宜しく!   

http://somenokomichi.com/

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# by grovewell | 2011-12-17 07:53


秋の益子陶器市に行って参りました

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秋の益子陶器市 2011年11月3日(木・祝)から11月7日(月)※5日間
 秋のテーマ「そばの器」
全期日とも午前9時頃から午後5時頃まで

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ひと月程前ですが、益子陶器市に行って参りました!

兼ねてから一度は足を運んでみたかった益子陶器市、
念願叶い今年はじめて益子陶器市へ!

震災で多くの登り窯や作品に多大な被害が出てしまった益子。

陶器市では陶芸家達の熱き想いと歴史を繋ぐ地域の方々の素晴らしい姿に
そして若い陶芸家達の姿に
私は感無量でした。

私達が行ったのは最終日でしたが、昼ともなれば人、人、人の大盛況でした。

朝一から行きましたが、一日では全部回りきれません。  

伝統的な作風から、新進気鋭な陶芸家の作品、
若手の陶芸家のあっと驚く作品の数々。
どれも本当に素晴らしいものでした。

来年のゴールデンウィークにも開催されますので、
その時には2日間くらいかけて回りたいです。

時が経つのもあっという間。    

自分の分身が欲しい なんて思ってしまう程 全部回りきれなかったなあ。。

陶芸体験もしてみたいです。    
近年、石窯、登り窯、作ってみたいな。
夢は膨らむばかりです。  言ったからには実現して行こう。 


<益子陶器市>
陶器市は1966年(昭和41年)から始まり、例年、春のゴールデンウイークと
秋の11月3日前後に開催されます。
販売店約50店舗の他約500のテントが立ち並び、伝統的な益子焼から、
カップや皿などの日用品、 美術品まで販売されます。
テントでは新進作家や窯元の職人さん達と直接会話を楽しむことができます。
焼物だけでなく地元農産物や特産品の販売も行われ
春秋あわせて約80万人の人出があります。

栃木県益子町とは?:

益子焼の産地として知られる益子町は栃木県南東部の芳賀郡に位置する人口約25,000人の町です。
関東平野の北に位置し、町の北から南へと流れる小貝川河岸の平野部が町の大部分を占めています。町の南部は茨城県と県境を接する丘陵地となっており町内最高点は標高533mの雨巻山です。

江戸時代後半から栄えた益子焼の生産は、今でも300軒以上もの窯元が制作をかさね、毎年春と秋の益子大陶器市では日本全国から多くの陶芸ファンが集まります。

また益子町には、室町・鎌倉時代の貴重な文化財が点在しています。
町内の山本・大郷戸地区には伝統文化が数多く残っており、「雅楽」は明治時代から途切れることなく継承され、「太々神楽」は戦後の高度経済成長期に一時途絶えましたが、昭和40年に30年ぶりに復活し、現在に引き継がれています。
益子町役場

〒321-4293
住所:栃木県芳賀郡益子町益子2030
電話:0285-72-2111



<陶芸の里、震災直撃 益子・笠間の記事>

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201104130337.html



都内ではこんな催しもありました。
KASAMA∞MASHIKO 理想のクラフト郷へ -笠間と益子の魅力-
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祖母が古くから付き合いのある松崎さんの初窯記念 "遊心展"
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本日の一言:

「どんなに質素な食事でも器が素晴らしければ美味しく頂けるものです。」

よく祖母が言っていた言葉です。

全てがただの器ではありません。 素晴らしい伝統的な芸術作品です。  

大切に大切にしよう。

そして若い才能溢れる陶芸家を心より応援して行こう!
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# by grovewell | 2011-12-11 08:53


映画『レイチェル・カーソンの感性の森』上遠恵子さんトーク+朗読付き上映会

<まえがき>
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私は正直この日記を公開すべきか悩みに悩みました。

結果、私自身青二才ではあるが、感じた事をそのままに表してみる事としてみました。

この日記本来の「学びの場」となるべく。

単純に考えれば単純明快な、

しかし何を善とし悪とするか判断するには私はまだ甘く、

複雑に考えればなんとも複雑な方向まで思考が行ってしまった。

例えば 人工物質=悪、天然物質=善  という簡単明瞭な見解では物事は語れないのかもしれない事を。

例えば原子力発電所(人工物質)は悪であるならば 
太陽光(天然物質)発電のパネル(人工物質)は善なのかとか。

しかし私は"自然の美しさや神秘さに目を見張る感性・センスオブワンダー"を忘れずに

無理やりではなく 投げやり でもなく 思いやりで  

自然に自然と歩み寄りたい想いである。

そこは紛れも無く  わたしを"わたし"という思いをなくさせてくれもする    非常に詩的な世界であるのだから。


『レイチェル・カーソンの感性の森』
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(2008 年/アメリカ/カラー/HD/16:9/英語/55 分)

監督:クリストファー・マンガー(『ウェールズの山』、『ガール・フロム・リオ』)
脚本、出演:カイウラニ・リー
プロデューサー:カレン・モンゴメリー、カイウラニ・リー
撮影:ハスケル・ウェクスラー

「彼女がいなければ、環境運動は始まることがなかったかもしれない」
ベストセラー作家としてのキャリアを重ねる一方で、一部のメディアや化学薬品産業からの批判にさらされ、苦難の日々を送っていた。晩年は癌を患いながらも執筆活動を続け、若くして他界した姪の息子であるロジャーに愛情を注いだ。遺作となった『センス・オブ・ワンダー』はロジャーに捧げられており、自然の美しさや神秘さに目を見張る感性を、いつまでも失わないでほしいという願いが込められている。本作で主演を務める女優のカイウラニ・リーは、このメッセージを伝えるため一人芝居『センス・オブ・ワンダー』の 脚本を執筆し、18 年もの間カーソンの最後の1年を演じてきた。本作ではカーソンが穏やかに余生を送ったメイン州の海岸にあるコテージに舞台を移し、豊かな自然の中でロジャーと過ごした日々を美しく再現する。

50年近くも前に、著書『沈黙の春』で放射能や化学薬品の危険性を告発したレイチェル・カーソン。
化学者であり作家であったカーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』を映画化した本作は、
現代を生きる私たちに向けられたメッセージであり、
自然の美しさや神秘さに目を見張る感性を、いつまでも失わないでほしいという願いが込められている。

(上記 UPLINK サイトより引用)

『沈黙の春』
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『センス・オブ・ワンダー』
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上遠恵子さん
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1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。長年に渡り、カーソンの生涯や思想を、環境教育・読書会・勉強会・セミナー・自然観察/体験などの諸活動を通じて広く社会に発信し続けている。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。

上映後は『センス・オブ・ワンダー』の翻訳者であり、レイチェル・カーソン日本協会の会長、そして本作の字幕監修者である上遠恵子さんをお招きして、本著の朗読を交えたトークが行われました。


<上遠恵子さんのお話を聞いて>
上遠さんの貴重なお話を直接御聴きする事が出来て本当に良かったと思いました。
戦争経験者の貴重な御言葉の数々、上遠さん自身が涙ながらに訴えていた「私が一番綺麗だった頃」、学生時代の青春の輝きを、第二次世界大戦によってその尊き時期を捧げなければならなかった事。
戦後、汚染した土壌の消毒の為に、自身もウジがわいた体や頭を洗浄する為にDDTを米兵により頭に振りかけられた苦しい思い出。それにより白髪になってしまったり、当時貴重な食糧(卵)を得る為に父親が飼っていた鶏に食べさせていた鶏のエサもDDTに汚染されていて、生んだ卵にはなんと殻がなくブヨブヨの薬品臭のする卵だった事。 それを我慢して食べていた事。通っていた学校も戦争が始まると次々に戦闘機の部品や点検をする為の機械が運び込まれ、学びの場がいつのまにか「工場」になってしまった事。
「工場」と化した学校の自分の机に貴重な食糧「お芋」を隠してあったがそれがネズミに全部かじられてしまって非常に悲しい思いをした事。モノの豊かさに恵まれた現在では経験する事はなかなかなくなった「ひもじさ」に対する痛烈な悲しみ。
二度と同じ苦しみを子供達に経験させてはならないという強い言葉。
DDTを今の放射能汚染に置き換えてみて欲しい、そして、今感じる正直な怒りとあってはならない、繰り返してはならない悲しみに対して、若者はもっと怒るべきだとおっしゃっておりました。


<私の"感じた"事>
死しても未だ尚、批判されたり非難されたりする事も多々あるレイチェル・カーソンであるが、彼女の残した作品の正当性うんぬんよりも、誰しもが言いたがらなかった「明らかなる不自然を批判する」という勇気ある行動とエネルギー、そして「明らかなる自然の方向への導き」こそが私自身の心が今、「明確な立場」を確立するに至って居る事を忘れてはならないと思った。「明確な立場」とはこの場合において、感じた心に正直である者の方を指すとしよう。
誰に何と言われようと、知識に武装された誰かに歪曲されようと曲げられる事の無い強い信念。

事実関係が全てではない。   

詩にはそれをも超越する真実が眠っている。

そう思わされた。     

レイチェルは紛れも無く詩人であると感じた。

レイチェルはたくさんの野生動物や植物の声無き声を心内に聞いていたのだろう。

そして彼等の心の声を代弁してくれたのかもしれない。

今一度 人間本意  の物事の考え方 を熟考すべきだとも思わされた。

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ここまでは私の感じた事そのままです。
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しかし一方では下記の様な興味深い記事もDDTについて調べていた所、発見したので、
載せておくと同時に今一度私の感じた事を熟孝せねばならぬ思いである。

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このDDTの最も効果をもたらした一つが、マラリア対策。
ハマダラ蚊が媒介するこの恐ろしい病気は幼い子供が犠牲になる。高熱を伴い、酷く苦しい病気であることが知られている。
例えば殺虫剤DDTがなかった頃の沖縄の南風見では、約四カ月間で、22人の児童を含む85人がマラリアの犠牲になり、感染者が波照間島へ戻ってさらに猛威を振るい、66人の児童が亡くなったらしい。
その沖縄にDDTが到着して、マラリアは退治されたのである。
それまで使われていた、「トリカブト」などの殺虫剤は昆虫にも人間にも、毒物だったので、人間には毒性を示さない、「量」に注意して使わなければならなかった。 でもDDTは人間の神経にはほとんど影響を与えず、昆虫の神経だけを攻撃するという性質だったから多用されるようになったのである。

ところが人間に対して毒性が低いということになると、人間というものは単純なもので、マラリアなどの退治に対してのみ慎重に使えばよいものを、大量に製造しヘリコプターから大地にくまなく散布するということを続けたのである。

やがて大地には昆虫がいなくなり、昆虫を餌にする鳥が少なくなり、春になっても鳥のさえずりが聴こえなくなった。そうなると、今度は人間が、ヒステリー状態になる。
「原因はDDTだ。DDTを追放せよ!」・・・かくして製造が中止される。

直接の引き金は、1962年に出版されたレイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」でDDTは悪魔の白い粉として評価が逆転してしまうのです。

その大きな要因として、農薬は使用されると分解して水や二酸化炭素などの単純な物質に変化していくが、DDTの分解物は非常に安定して分解しにくく環境中に長く留まり影響を与える可能性があり、また食物連鎖を通じて生体濃縮されることが分かったため。また極めて危険な発癌物質とされ、そのため、日本でも、1968年(昭和43年)に農薬企業が自主的に生産を中止、1971年(昭和46年)には販売が禁止され使われなくなった。
しかしDDTが使用禁止になったことにより経済的にも工業的にも弱体である国では有効な殺虫剤を失うことになり、コスト的に見合う代替品の入手が困難になったのです。
その歪みが顕著に現れたのがスリランカです。DDTのおかげで、一時期マラリアの罹病数が激減 m097 したが、結局散布中止で、罹病数が復活しています。
*下データはスリランカのマラリアの罹病数の推移です。


年                 罹病数
1946(DDT散布開始)  2,800,000
1961                  110
1963                   17
1964(DDT散布中止)        150
1966                  499
1967                 3466
1968            2,500,000
1969            2,500,000


ちなみに2006年9月15日のWHOニュースによると、世界で毎年5億人が急性マラリアに罹り、100万人以上が死亡しており、その制圧のためにはDDTを屋内に限定して使用すべきだと勧告しています。 *屋内散布はハマダラ蚊の潜む家の壁や天井や家畜小屋にまくことで家全体を覆う蚊帳の役割を果たし、外部の自然を壊さないというもの。

DDTの発癌性についても、国際がん研究機関による発癌性の評価は当初、グループ2Bの「人に対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類されていたが、その後の追試験によってグループ3の「発がん性の評価ができない物質」へと変更されています。


ここでは、レイチェル・カーソン氏が正しいとか間違っているとか、あるいはDDTは安全かという一つの事象を問題視したいわけではありません。
レイチェル・カーソン氏は大学院まで生物学を学んではいるが、作家であり、その観察眼により警鐘を鳴らしたことは非常に重要だったと思います。

しかしそもそもDDT使用の目的は発疹チフスやマラリア対策です。

先進国ではそのおかげで激減したし、DDT中止後も代用品によって問題は解決したようです。

一方で発展途上国ではさらに40年以上もその被害で苦しんでいる現実が厳然と存在しています。(マラリアでの死亡者の86%がサブサハラ・アフリカの人)


しかもDDTの中止によってその後の自然保護が実現したと言えるかどうかは、現状からすると疑問で、むしろ発展途上国においては、先進国によって自然は破壊され、さらに病気も減らずという二重苦にさえなっている気がします。

そういう意味では環境問題のさきがけと言われる「沈黙の春」を取り巻く社会的な背景とその後の環境運動へのつながりを探り、”自然の摂理で環境を考える”ことがどんなことなのか、探索してみたいと思います。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
という記事を拝読させて頂きました。

共存とは自然界にとどまらず人工物も含めて考えるのが現実なのかもしれない。

ああまた私は知ってしまった。  

知る事よりも感じる事の方がずっと大切な事だというのに

しかし知る事が出来るからこそ失われて行く洞察力と
本質を見極める力を養わなくては感じる心が殺されてしまう。

私自身が常に考えられうる多面的な側面の立場に立てる心を持つ
己の哲学を追究して行く身なのであるならば

「明確な立場」を守りつつも  「逆の立場」に立つ必要もあるのかもしれない。

生きる事が許されなければ  考える事も  詩を紡ぐ事も許されないのであるから。

もしも 目の前で  苦しみ死んで行く子供達を見ていたら  

助けたいとは思わないか?

それとも  それも自然の摂理だと言って  だまって見ているのだろうか?

人間本意と  自然との共生   相対する永遠のテーマの中にも複雑な人間の深層心理が含まれている。

人が人を助けたいと思う気持ちは   人であるならば肯定して行きたい

要はそのエネルギーがどのような方向に流れてゆくかではなかろうか。

善意から生まれた発明も   悪意によって本来の性質を失う事が多々ある様に。

今は只 利己的では無く 自然と人が 人と自然が 歩み寄る方向を望んでいる。

やはり  無理やりではなく  投げやり  でもなく  思いやり  で

文明は衝突してばかりではなく 融合をしているのであれば

人に引かれた線を隔ててではなく 
もっともっと根本的な歩み寄りが必要なのかもしれない

1から2をつくり出す事は容易かもしれないが

0から1をつくり出す事は既に文明に溢れた現代の僕らには難題である

しかし   先住民は 0を知っている  

そして  1が100になり 1000になり  再び0になる事を人間が拒む事も知っている

今の自分の生活に必要な文明とは何なのか

そして不必要な文明とは何なのか

夜も明るい都会では いやがおうにも 過多な文明に頼らざるおえなくなっている

人がつくり出した悪意なき文明に価値を与え、利権を牛耳る者に対する疑問と怒りを

正直になって 洞察し熟考し、行動すべき時が来ていると 我ながらの生活を省みる次第である

生かされている事を感じながら


今日の一言:

先住の民よ  どちらの道だ?

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# by grovewell | 2011-10-27 13:35


日々是好日コラム:<不便をいとわずに会話が生まれる瞬間を楽しもうや >  文: 吉本滑稽

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写真は高田馬場 高野家

日々是好日 コラム:<不便をいとわずに会話が生まれる瞬間を楽しもうや >  文: 吉本滑稽

私がありきたりなチェーン店や沢山店舗のあるお店を好まないのは

人間的ではなくて 機械的に感じるからである

その店の佇まいも その店で働く者の表情も

どこか不自然に感じられるからである

皆が皆そんな訳ではないのであろうが

マニュアルと規則と時給と規約に雁字搦めでは

人である事をも忘れてしまうものだろう

一方で みすぼらしくとも 大入り満員でなくても

細々と 来るや分からぬ来客をひっそりと待つ

個人が経営している古びた喫茶店や 

海外からその身一つで街にやって来ては

右も左も分からぬままになんとか街に愛されようと

必死に美味しいご飯を作っているインドカレー屋さんや

タイ料理屋さんへ行くと 必ずと言っていい程「会話」が生まれる

そんなお店が好きなのは

僕が会話が生まれる瞬間が好きだから

不便をいとわず不便を不便とも思わず

時を浪費したとも思わない

時間に追われている毎日でも

時を分かち合えた喜びこそが 会話なのでなかろうか

足早に幽霊の様に香りも言葉も残さずに去って行く

皆狭いテーブルにひしめき合って

壁にかけられた時計に追われて

顔を見合わせて座っているのに互いの視線をそらしては

食事を待つ間も携帯電話やテレビに釘付けで

そんな所で突然会話なんてしだしたら しかめっ面で返される

会話が生まれようとする 空気すら寄せ付けぬバリアーを皆張り合っている

そんな所で無言で食事を待ち

命を頂く事に慣れてしまって

手を合わせ命を頂く事に礼と感謝の念を伝える事もせず

よく噛み砕きもせずに流し込んで流動食じゃあるまいし

いただきます

ありがとうございます

おいしかったです

ごちそうさまでした

またきます

ぼくはその言葉を心から言える素敵な店をいくつもこの街で知っている

なあ 疲れたら  会話の生まれる空気のある場所で

ありがたくご飯を頂かないかい?

いただきます

ありがとうございます

ごちそうさまでした

おいしかったです

またきます

何度も何度も通ったら

僕は沢山のお土産を貰ったよ

チャイの作り方や

タイティーの沸かし方

沢山の外国の言葉や

日本の酒の古来の作り方

戦前の日本の食生活の話

醤油の醸造方法などなど

お金にならなくても

沢山の知恵を教わったよ

マニュアルや規約には載っていない反則をいくつも犯して来たよ

それも双方笑顔でね

だから今日も

いただきます

ありがとうございます

ごちそうさまでした

おいしかったです

またきます






日々是好日コラム:<不便をいとわずに会話が生まれる瞬間を楽しもうや >  文: 吉本滑稽
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# by grovewell | 2011-10-17 14:12


ドキュメンタリーフィルム"水になった村" を観に行きました。

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先日、ポレポレ東中野のアンコールモーニングショー朝10:00~
にてドキュメンタリーフィルム"水になった村" を観に行きました。

大規模なダム建設により、水底に沈む村に暮らす人々を15年に渡って見つめたドキュメンタリーです。

監督がジジババと呼ぶ徳山村のお爺さん、お婆さん達の生きる知恵の数々と山の神、川の神に感謝して日々を営む姿からは現代社会が忘れかけている大地への感謝と生きる上での自然との共生を今一度思い起こさせてくれる感慨深いものでありました。

ジジババ達が数百年の歴史を守り続けて来た古民家が、
ダム建設の為に巨大なショベルカーに壊されて行く最中も、
そこに住んでいたおばあさんはその場を離れようとはせず、
樽の中にある保存食の漬け物を取り出したり、
部屋に転がった家具を整理している姿を見た私はいつしか自然と涙があふれておりました。

自然とは何か?  不自然とは何か?  

それを深く感じずには居られませんでした。

山口県の祝島の原発問題に揺れる "ミツバチの羽音と地球の回転"を見た時にも感じましたが、
お金では換える事の出来ない先祖代々から受け継がれた歴史ある"山の幸""海の幸"を有り難く頂く事を忘れ、山の神、海の神に感謝しながら生きて行く人々の知恵と工夫が現金主義な心なき者達によっていとも簡単に壊されて行く様を黙って見ている自分にいたたまれなくなった様に、
同じ国、同じ星で同時に起きている"自然"と"不自然"な事を心に留め、憶え、
何が許せるのか、何が自分にとっては許せない事なのか 本作品:水になった村でも
明確に人の心に訴えかけて来るものでありました。

これを読んで下さっている貴方様が人であれる内に、是非とも観て、感じて、
素直に怒り、素直に泣いて、今より素直になる事が出来る映像作品かもしれません。

心あるならば そのお心を今一度確かめに本作品を観に行ってみるのも良いかもしれません。

幸いな事に私が行ったモーニングショーの回では、大西暢夫監督のお言葉を直接拝聴する事が出来ました。

監督自身が15年間追ったドキュメンタリーには並々ならぬ思いがあった事。
そして、今ではダムに沈んでしまった徳山村のそばにジジババの生活を見習い、憧れ、自給自足の生活を試みていらっしゃる監督自身の生活の変化。
徳山ダム自体は現在は水が余ってしまう程で、
年に一度開催される観光客に向けての観光放流ぐらいでしか使われなくなってしまっている現実。

作品の中では語られなかった現状を御聞きする事が出来ましたのも幸いでございました。

この作品を見て何を感じるかは貴方の心に委ねるものとします。

この作品を観ようと 映画館に足を運んだ事は 私は"自然"な事であったと思います。

そこで観て、感じて、 いよいよ自分の生活の"不自然さ”を露にされた気分にもなりましたので、
この先どのように生きて行くか 改めて "自然"な道を歩んで参りたいと思わされました。



ポレポレ東中野に併設してあるCAFE:ポレポレ坐では宮沢賢治の特集が組まれておりました。
そちらも併せてとても素晴らしいものでした。

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http://web.mac.com/polepoletimes/iWeb/7C4C51EE-E8FF-4870-92E5-6E536C15159B/B5C804F4-AB63-4DF8-AF14-418E13E2084F.html

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大規模なダム建設により、水底に沈む村に暮らす人々を15年に渡って見つめたドキュメンタリー。自然の恵みにより成り立つ素朴な生活と、老人たちの明るい笑顔の中に人間の根源的な姿が見える。失われゆく素朴な暮らしが愛おしい。

【徳山村というところ】
岐阜県揖斐郡の揖斐川上流にあった村。村の98%が森林で、本郷・下開田・上開田・山手・櫨原・塚・戸入・門入の8つの集落からなった。
ダムの建設のため村民は1985年に離村。1987年には旧藤橋村(現在は揖斐川町)に編入合併し、廃止された。徳山ダムは、2008年に完成予定で、現在試験湛水により村の可住区域はダムに水没した。


ポレポレ東中野
東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビルB1F
http://www.mmjp.or.jp/pole2/


今日の一言: 
 何が"自然"か "不自然"か。 それを見極めながら生きて行きたい。



今日のテーマソング: "星めぐりの歌" 作詞:宮沢賢治
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# by grovewell | 2011-10-13 13:06


岩手県 陸前高田市にてボランティア活動に行って参りました。

東京から友人達と岩手県陸前高田市へボランティア活動に行って参りました。

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<■NPO、NGO団体と行動を共にする方法ではなく、より地域に密着した自治体やボランティアセンター窓口に赴き、率先して何か私達に出来る事をやって来る方向を今回は選びました。>

今回はNPO,NGOなどに属せずに、自発的なボランティア活動の本質を考え抜いた結果、自家用車での乗り入れで被災地入りする方法を選びました。

はじめに、いくつかのNPOやNGOをPICK UPして具体的にどのような活動がなされているのかを調べました。
中には、いいかなと思われる団体もありましたが、残念ながらそこは現時点ではボランティアを募集していないという結果が出てしまい。
又、ある程度の拘束があり、納得のいく団体が余りにも少なかった為、今回は個人の力でも何か出来る事はないか自発的に探す方法を選びました。

これはあくまで私達が選んだ方法です。ベストな方法はこれから赴かれる人々全てが選んだ方法がベストであるのでしょう。それぞれに見合ったボランティア活動の方法があると思われます。

そこで、私達は「宮城県災害ボランティアセンター」「岩手県災害ボランティアセンター」と各被災地地域の窓口に具体的に県外ボランティアの受け入れが可能な場所と具体的なボランティア活動について聞き込みをしました。

ここでは端的にそして今回の活動に沿って必要最低限の情報を載せておきます。  

ご自身でもどのような活動が行われているのか、現地に着いてから被災地の方や他のボランティアの方にご迷惑のならない様に下調べして行く事をお勧めします。
直接窓口に連絡してみるのも具体的な動きがより明確に見えて来ると思います。  
何か情報があれば、これもまた助け合いで、是非情報交換、共有致しましょう。


<今回は「陸前高田市」へ赴く事に致しました。>

陸前高田市を選ぶまでにも色々ないきさつがありました。
現状(6月頭調査時点)岩手県では「宮古市」「釜石市」「陸前高田市」の主に3都市のみ 個人の受付が可能となっておりました。 刻一刻と被災地の状況は変化しているので、これから受け入れ態勢も整う場所もある様です。調査時点では上記3都市のみ個人の受け入れが可能。    特に津波の被害がもの凄く、ゴールデンウィーク以降ボランティアの数が激減している地域に焦点を当てました。  
どこの窓口が急を要するという事はなく、全ての被災地がボランティアを必要としています。  
尚、現在はボランティアの募集を打ち切り、完全に地域で独立してゆく方向性を重視している地域も出て来ている様です。


■陸前高田市ボランティアセンター窓口:019-637-9711

■ボランティアセンター住所: 陸前高田市横田町字狩集 96-3    
     (アザ、カリアツメと読む)


<事前に用意していったものリスト>

■ボランティア保険(天災付き)

ボランティアで被災地に行く前に保険に入る。(※重要)

http://www.takahama-shakyo.or.jp/volu/hoken/pulan2.html


保険期間は、毎年、4月1日から翌年の3月31日まで。中途で加入する場合も、保険期間の終期と保険料は変わりません。今、加入しておけば、来年の3月31日までは、何度でも、日本国内ならどこへ行っても補償されます。加入は、現地だけでなく、往復の途上でも補償されるよう、居住地(出発地)の社会福祉協議会で手続きを。所定の加入申込書に必要事項を記入・署名・捺印し、保険料を添えて窓口に提出すればOKです。個人や個人のグループの場合は、どんな活動をするかの説明を求められます。

被害の大きかった地域でのボランティア活動は、継続して必要とのこと。週末や休暇、夏休みなどを利用して参加を考えている人は、出かける前にあわてなくてすむよう、保険の加入手続きは早めにしておきましょう。

私は高田馬場の全国社会福祉協議会にて プラン C の 1400円 に加入しました。 
 プランAは 感染症の保証と葬祭時の保証がありません。 プランB,Cに関しては 保証額に差があるのみです。

一応何があるか分からないので、プランCの最大の保証が受けられる保険に加入しました。 
保険加入手続きは約15分で終わりました。

■ボランティア手記

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私自身、i-phoneなどというハイブリッドなものを持っておりませんので、
現地ではインターネットも使えない可能性も考慮して、手書きのノートを持参しました。
事前に下調べした要項を記したものや、ボランティアセンターの住所や連絡先などを明記しておきました。

■災害派遣時車両証明発行許可証:
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 これが下りれば、 高速道路料金が無料になります。
 ETCではなく、一般の入り口にて申請書を提出後、返却してもらう(帰りの通行のため)。
今回は岩手県の総務部と数回に渡るFAXのやり取りで申請許可を頂きました。
非常に丁寧に経路についての相談を受けて下さり、
現地までの最短移動方法など大変親切に教えて頂きました。


※自家用車移動での注意点: 被災地まで約10時間の所要時間。 
気をつけなくてはいけないのは安全運転はもちろんの事、ガソリンの供給。 
ガソリンの供給は被災地では出来ないという認識の上で動かなくてはならない。 
しっかりとした計画性がないと、逆に僕らが現地で足止めを食らう事になり、
被災地の方々に二重に迷惑をかける。 重要点はガソリンの供給をどこでどのタイミングで行うかだ。

<事前にボランティア活動で必要となるであろう用具や作業服などをホームセンターで各自購入>

■作業服

■雨合羽(これが意外にも役立った。 天候の予測がつきにくい海岸沿いでのボランティア活動であった為、これがあれば雨に濡れても大丈夫だし、作業時にも汚れても良いものを購入。)

■長靴(耐久性の強いもの、踏み抜き防止、出来れば底に鉄板の入っている安全靴タイプのものが良い。活動場所では釘があらわになっている瓦礫が足元に多くある場所もあるので。)

■二重底の靴下(踏み抜き防止対策)

■防臭・塵埃マスク (交換用フィルターも同時購入。)

■ゴーグル
(粉塵が多く舞っている場所での作業や、コンタクトレンズを使用の方は必要となるかもしれない。)

■強力ゴム手袋 (厚手で破れにくいものを購入)

■軍手 
 (瓦礫拾いの作業時は、強力ゴム手袋の下に軍手を装着して、二重にして対応すると心配が少ない。)

■帽子
(熱射病対策にもなる。)

■大量のタオル (汗拭き用、頭に巻いて帽子の代わりにするのも良いかも。)

■水を入れる収縮可能なボトルケース

■飲み水 (夏場は水分補給が重要だと思わされた。 被災地は現在でも深刻な水不足に悩まされている地域も多い。 被災地の水には頼らずに出来る限り自分たちで持ち寄った水で対応したい所である。)

■洗い水 
(汚れた長靴や用具などを洗う水。現地ボラセンでも用意はあるが、これも上記と同じく自己管理で用意した方が良いと思った。)

■クーラーボックス 
(飲み水や食べ物を入れる用)

■マイ箸

■マイボトル・水筒
 (箸は持って行ったが、ボトルを忘れてしまったのが悔やまれた。 
ペットボトルの飲料水に頼らざるおえなかった事が悔やまれる。)

<ボランティアセンターでお借り出来るもの>

■スコップ

■鍬

■三つ鍬

■竹ぼうき

■ネコ車

■バール

■必要とあらば ヘルメットなど 

etc...
(借りたい用具を申請書に記入して、用具を借り、貸し出し番号の書かれた紙を渡されるので、
 返却時に貸し出し番号を照らし合わせて、確認後返却。 使った用具は綺麗に洗って返却。)



<下記、私達がお手伝いさせて頂いたボランティアの内容です。↓>


<■ボランティア  初日 6月23日>

6月22日夏至フェスライブ終了後出発→東京練馬IC→関越道→長岡JCT(新潟)→北陸道→新潟中央JCT→日東道→朝日まほろばIC →国道7号→鶴岡JCT →水沢IC→で降りて、陸前高田市へ

所要時間:約10時間かけて 陸前高田市へ到着:陸前高田市横田町字狩集 96-3   
  (臨界地域 福島県周辺を通らずに現地へ赴く方法)


6月23日 朝8時30分ボランティア受付〜当日のボランティア内容が決定〜 団体行動〜 15時 ボランティア活動終了  →報告→終了。    宿泊先の友人宅 :秋田県能代市へ 

<ボランティア初日は"けせん朝市"の物品整理、陳列及び会場設営のお手伝い>
岩手県に入るやいなや、午前6時51分ごろ、岩手県沖を震源とするマグニチュード6.7の地震があり、青森・階上町、東通村、岩手・盛岡市などで震度5弱を観測する地震がありました。これに対する津波の影響などが懸念され、一時的に私達の車も海岸から離れた高台にて待機を余儀なくさせられました。 しばしの間、地震情報と津波情報を伝えるラジオに耳を奪われておりました。津波到達予定の7時10分を過ぎても緊急事態勧告などの報告が無かった為、一路陸前高田ボランティアセンターへ赴く事にしました。
到着時刻は8時過ぎ。 一時間前に起きた地震と津波の懸念により本日のボランティアは全面中止というアナウンスがなされましたが、どうしても何か出来る事をしたいとボランティアセンターの方々にご無理を申し上げた所、屋外の作業ではなく、室内の作業で人手が足りていない活動があるそうなので、そこへ赴くことになりました。ボランティアセンターから紹介されたのは、200年の伝統を誇る"朝市"の物品整理、陳列及び会場設営のお手伝いでした。震災後、200年の伝統があった"朝市"も開催中止を余儀なくさせられていたそうですが、5月より"朝市復活"へ向けて地域住民の方々が手を取り合い、伝統行事の継続を願い、声をかけ、励ましあいながら見事復活となった会場のお手伝いという貴重な経験をさせて頂きました。

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http://iwate.doyu.jp/news/110429-184631.html

津波でほとんどの商店が流されてしまった陸前高田。
震災前、陸前高田市では「高田の市日(いちび)」という
朝市が200年以上前から開かれていました。
その賑わいをもう一度復活させたいと、5月1日から始まったのが「けせん朝市」です。

外には風力発電と太陽光発電機を発見!
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群馬同友会から4名の方が、スタンド型風力太陽光発電機(株式会社松村機械製作所)を遠路陸前高田まで届けるために、群馬から8時間かけて訪れたそうです。同友ハウスとのジョイントです。
被災地仕様に特別に製造したものを寄贈いただきました。
今後家庭用蓄電池の需要が高まることが予測され、全国から注目される取り組みになりそうです。
 そして三重同友会からは、ビタミンみえのソーラークッカーが到着。けせん“朝市”に結集します(詳細は5月1日以降掲載)。今まで生みだそう、つくろう、と藻掻いてもうまくいかなかった連携で新しい仕事づくり。いつの間にか自然に、地域を越えて繋がり、生まれ始めています。(11.4.29記事より引用)

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6月24日 朝8時30分ボランティア受付〜当日のボランティア内容が決定〜 団体行動〜 15時 ボランティア活動終了  → 秋田県能代市へ という予定でしたが、、

前日に大雨洪水警報が発令され、秋田ではもの凄い洪水被害に見舞われ、
23日夜に陸前高田ボランティアセンターの担当者よりご連絡を頂き、「24日のボランティア活動は全面中止」という報告を受けた。 それでも何か手伝える事があればやらせて頂きたいと無理を言ってみたが、
今回ばかりは難しいという返答であった。24日の朝に再びボランティアセンターに問い合わせるが、状況は変わっておらず、この日はボランティア活動をする事が残念ながら出来ませんでした。
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6月25日 朝8時30分ボランティア受付〜当日のボランティア内容が決定〜 団体行動〜 15時 ボランティア活動終了  → そのまま東京へ戻る。    約10時間かけて  6月26日の早朝到着予定。

<6月25日 :この日のボランティア活動は"高田町の田んぼの瓦礫の撤去作業"でした。>

週末という事もあり、他県からも色々な団体がボランティアセンターへ集まって来ておりました。
それでもやはり人手は明らかに足りていなく、もっともっと必要である事は被災地の姿を見れば一目瞭然でした。この日は晴れ間が覗き、雨の心配も無い事から、通常通りのボランティア活動が行われる日でした。
まず、8時半に簡単な朝礼の様なものがあり、各地域からいらっしゃったボランティア団体の代表者の方々がそれぞれに意思表明と本日の活動内容を団体様に伝えておりました。
私達は完全に個人での乗り入れでしたので、朝礼後にボランティアセンター内で行われる"マッチング"という経緯を経て、当日のボランティア活動内容を振り分けられるという流れでした。

※マッチング→
個人での参加の方は毎朝ボランティアセンター内で"仕事の振り分け"が行われます。
次々に読み上げられる活動地域と活動募集人数を確認の上、完全に自主的に挙手制度で振り分けられました。マッチングも大変込み合っておりましたので、私達は2番目に挙げられた"高田町 田んぼの瓦礫撤去作業 募集人数10名"という活動に挙手をして、本日はこの"高田町の田んぼの瓦礫の撤去作業"へ赴く事が決定しました。 私達の他に、大阪からいらっしゃっていたボランティアさん6名と、岩手県内からいらっしゃっていた女性1名(毎週末ボランティアに来ているそう。)計11名で現場入り致しました。


高田町は震災以前はスーパーや量販店、レストランに病院、陸前高田の方々の生活の支柱となっていた非常に栄えていた場所だったそうです。しかし目前に現れたのは瓦礫の山の乱立。 
目を覆いたくなる様な痛々しい傷跡が残っておりました。
重機の数も少なく、ボランティアの数も少なく、途方に暮れる様な状況の中でしたが、
私達には限られた時間の中、地域の方々が与えて下さった使命をまっとうする事に集中をして、
黙々と畑をほじくり返しては住居の破片や瓦、ガラスの破片を拾い集めて畑の隅に積んでゆく作業に従事しました。
途中畑の持ち主の方が作業の様子を見に来られておりましたが、
畑の土をご覧になられて、「これ砂だもんな。。」と深いため息をついていらっしゃいました。
一見綺麗に片付いたかの様に見える畑でも海浜の砂まじりの畑では米は育ちません。
そのことは、ご主人が一番良くお分かりだったのでしょう。
本心は私も東京には戻らずに、このまま畑に再び命が宿るまで作業を続けていたかったです。

しかし、ボランティアセンターの方がおっしゃっていました。
「一気にやろうとは思わずに次に来るボランティアの方に”引き継ぐ"事を考えて作業して下さい。」と
「復興は一日にしてならず、継続して足を運びに来て下さい」と

地域の自立、ボランティアに頼らず地元密着での復興、様々な想いが被災地の明日を繋いでいます。

少しでもいいから何かお役に立てる事が出来るなら、
何の見返りも期待しないボランティアという自発的な本質を失わずこれからも何度も足を運んでは、
私に出来るささやかな事を継続して行きたいと思いました。


今年も定期的に被災地へ赴いて、ボランティア活動をして行きたいと思います。
遠く離れた東京という地からでも出来る事はないか、
地域の方々の自立的な復興の邪魔にならない心からの応援とお手伝いが出来ないか、
模索中ではありますが、考えるよりもまず行動して、その目で見、その身で感じ、心で憶え、
次にどう繋いで行くかを行動して行きたいです。


本日の一言:

"小さな決心が やがて 大きな実を実らせますように"

震災から3ヶ月弱が経ちました

ありもしない噂話に花開かせて、風評被害や健康懸念に足踏みをして
眺めているだけで実際に赴く事もせずに、東京のいつもの生活に慣れてゆく日々。

東京のいつも通りの日々     被災地の方々の日々

緯度、経度は違えど    同じ空の下で   同じ太陽と月の下で  

時を同じくして育まれる生命の営み

後ろ向きな報道が繰り返される中、 前向きにひたむきに 

必ずや来るであろう未来の明るい兆しへ向けてまっしぐらに進んで行く被災地の方々の姿を見て

頭であれこれ考えるよりも、 行動する事の大切さに気付かされました

本当は自身の心に留めておくつもりでしたが

これは伝えな いかん  繋げにゃ ならん  続けな いかん  

そう思わされたのも  

TVやインターネット上では伝わり切れない本当の被災地の姿を

肉眼で、心で捉える事が出来たからかも知れません

助け合う人の力は無力ではない

一方通行で想像する余地もない画面上の無感情な刺激こそ 無力感を助長させているのかも知れない

少なくとも今回現地で出会った人々は

絶望感に打ちひしがれて無気力に日々を浪費している様な人とは一人も出会わなかった

その日一日を噛み締める様にして 必死に 皆 生きていた

不甲斐ない自分自身に言い聞かせているようなものです。 

どうかおとがめなきように。

思考停止状態で何もしないでいるのと、 相手を思いやった上で何もしないでいるのとでは雲泥の差でありましょうから。
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# by grovewell | 2011-06-29 04:25


畑で見つけた命達&収穫物と空豆くびれ選手権 & <酒粕(にぎり酒)を使った料理>

<畑で見つけた命達>

シロスジカミキリ
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ズッキーニの葉の間で発見!しばらく静かに観察していましたが、
別に葉をむしゃむしゃ食べている様子もなく。
なんだか心地良さそうにしていました。
「ズッキーニってなんか落ち着く。。」という様な感じでした。
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コウチュウ目(鞘翅目)・カミキリムシ科に分類される甲虫の一種。日本に分布するフトカミキリ亜科の最大種であって、雑木林によく生息する南方系のカミキリムシ。

触角を除いた成虫の体長は5cm前後。体は光沢のない灰褐色で、前翅には黄色の斑紋や短いすじ模様が並び、前胸の背中側にも2つの縦長の斑点がある。
ただしこれらの模様は死ぬと白色になり、和名もこれらの「白いすじ模様」に由来する。


モリアオガエルの卵
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池の樹上の、泡の中に産み落とされた卵は、泡のなかで卵からオタマジャクシに孵(約7~10日)り水面へ落ち水中生活が始まる珍しい産卵方法です。モリアオガエルは、産卵時期以外も、樹上生活をします。森林の小さな虫を餌にしているので開発などが進むと減少するカエルです。
 モリアオガエルの泡は粘り気があり、木の葉や枝をからめてつくり風がふいても落ちることはありません。泡に産み落とされた卵は、オタマジャクシに孵り池に落ちるのです。
落ちた泡は、オタマジャクシの餌になるのだそうです。




本日の収穫物:

大根、空豆、えんどう、ズッキーニ、ピーマン、ししとう、 
ナスは一つだけ。
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トマトも成長していましたが、収穫は未だでした。
ここにトマトやナスが加わると収穫物の色がぐっとにぎやかになるのですが、
もうしばらく辛抱です。

泥を落とした大根さん 
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艶めく白い美肌に思わずうっとりしていました。
艶かしい。 

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大根さん「大根足だなんてもう言わせない」
私「お美しいお御足です。おみそれしました。」

まっすぐ育つには地中に石がなかったり、土が柔らかくないと難しいですね。
もっと太らせても良いのだと思いますが、今回はもう地中から出たそうな方々を引っ張り抜きました。
お綺麗です。


<空豆さん達の  "くびれ選手権">
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エントリーは以上の方々。

前髪をお洒落に垂らしてアピールする方や、今にも踊りだしそうな方、
六者六様です。。

う〜ん   悩んだあげく  どれも甲乙付け難く。
甲乙つける事もできず。  甲乙なんてどうでもいいや! となり。

全員優勝!

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<酒粕(にぎり酒)を使った料理>
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<酒粕カリカリサラダ>
カリカリに揚がった玄米酒粕が入ることで、新しい食感のサラダが完成。
食べる直前に混ぜるのがポイント。
歯ごたえバツグン!

材料:
玄米酒粕100g、塩小さじ1/2、揚げ油適量(少なめ)、旬の野菜と海藻など(ブロッコリー、ワカメ)

【ドレッシング】オリーブ油大さじ1、うすくち醤油大さじ1、梅酢小さじ2→今回はこっちのドレッシング!

作り方:
1、揚げ油を熱し、ひとつかみの玄米粕を軽くほぐしながら素揚げする。
2、キツネ色にカリッと揚がったら、取り出し塩をまぶす。
3、ブロッコリーを塩たっぷりのお湯で茹で、ザルに揚げる。ワカメは戻し一口サイズに切る。
4、3を混ぜ合わせ、2の酒粕を盛り、あわせたドレッシングをかけて、でき上がり。


ドレッシングその2<マヨネーズ風>
豆乳大さじ2、オリーブ油大さじ1、マスタード小さじ1、塩・こしょう少々、
以上をビンに入れてシェイクするだけ。

<酒粕ベジタリアンチャウダー>
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材料:
(4人分)
大根100g、人参100g、玉ねぎ100g、干ししめじ10g(なければ生50g)、白米の酒粕40g、豆乳(または牛乳)60cc、水800cc、こしょう少々、昆布5cm、油小さじ1、塩小さじ2と1/4

作り方
1、 野菜を1cmのさいの目切りにする。
2、 鍋に油を入れ玉ねぎ、大根、人参の順に炒め、水,酒粕,昆布、干ししめじを入れコトコト煮る。
3、 塩こしょうで味をつけ、豆乳を入れ、仕上げる。

レシピは寺田本家さんのHPを参照しました。

http://www.teradahonke.co.jp/


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本日の地元過ぎる豆知識:

野呂パーキングエリアには ツバメの巣があるよ!
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# by grovewell | 2011-06-03 22:06


長生村放射線量測定情報

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村は、福島第一原発事故を受け村民からの問い合わせや要望に応えるため、
5月24日(火)に村内の保育所、 小学校、中学校など計9箇所の校庭等の大気中放射線量を測定しました。
測定は、㈱堀場製作所の放射線サーベイメーター(PA-100)を使用、役場職員が担当し保育所、小学校、薮塚野球場は校庭等で地表50センチと地表1センチ、中学校、尼ヶ台総合公園グラウンドで地表1メートルと地表1センチで、大気中放射線量を測定しました。
 測定結果では、最高が八積小学校の毎時0.075マイクロシーベルト、最低が高根小学校の毎時0.041マイクロシーベルトでありました。
 いずれの測定場所も、文部科学省が子どもの屋外活動を制限する暫定的な目安としている、毎時3.8マイクロシーベルトを大幅に下回っており、校庭等を通常に利用して差し支えないと判断する結果となりました。
 今後も、定期的に大気中放射線量を測定し、お知らせしてまいります。







本日の一言:


日本の基準値は甘いからな。

でもこの数値なら問題はなさそうか。なさそうなのか?

農作物の放射線量計測の結果もここで発表したいです。


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# by grovewell | 2011-06-02 23:49


畑仕事 〜収穫物と成長記録及び、土壌改善対策 「菜種」〜  

<玉葱の収穫の合図>

イノシシにでも踏まれたのではなかろうか? 
 いいえ  これが収穫時期なのですね。

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畝の八割くらいが倒れだしてきていたので収穫しました。

たまねぎ  穫れました!

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キウイフルーツ   気付かぬうちに虫さんが受粉させて下さって。
可愛らしいキウイフルーツの面影が プクリと見え始めました!
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運命的な巡り合わせ。


空豆太ってきたなあ。    
でもまだ葉も枯れてきていないし下に垂れ下がってきていないので収穫まではもうちょいです。

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試しに収穫してみましたが、甘くて美味しい。  もう少しだ。
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スナップエンドウ     おでぶさんとすりむさん
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これを育てだしたら 収穫時期は毎日の様に収穫ですね。
ささっと茹でて 何も付けずにそのまま食しても 甘い!
水洗いしてそのままかじっても美味しい。

ズッキーニ

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<菜種とひまわりで汚染土壌改善>

菜種    これより乾燥させます。

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その他にも土壌改善として効果的な植物の情報を交換したく思います。
どなたか既に実践されていらっしゃる方。 情報交換しましょう。



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農林水産省は5月6日、放射性物質に汚染された農地や牧草地の土壌改良に、
早ければ月内に着手することを明らかにした。
計画的避難区域に指定された福島県飯舘村などが候補地だ。
表土の除去や土壌中の放射性物質を吸収するとされるヒマワリやナタネの栽培の実証実験を通じ、土を浄化する技術の確立をめざす。チェルノブイリ周辺でも汚染土壌で栽培されているが、
土の質が違う日本での有効性や、
水田や畑、牧草地で土壌の性質が異なるため、どんな技術が最適かをまず確かめる。
除去した汚染土壌の処理方法や、ヒマワリやナタネの油脂などを原料にバイオ燃料をつくる際、
放射性物質が混入する可能性がないかも研究する。

<放射能汚染をされた土壌を植物の力「ナタネ」で改善しようというプロジェクトが
4年前からチェルノブイリ周辺の農地で進んでおり、注目を集めている>


このプロジェクトは元々、1986年のチェルノブイリ原発事故の際に
高濃度汚染地の北部ナロジチで地域再生を目指し、
日本の民間団体の主導で始まったものだそう。

「ナタネはカリウムやカルシウムと性質が似ている放射性セシウムやストロンチウムを根が吸収茎などに蓄えられる性質がある。
汚染で長年耕作が放棄されていた農地の一角18ヘクタールに春まきと秋まきのナタネ栽培を始めた。
吸着度合いは植えられる土の質によって異なるが、
ナロジチでの効果の分析などを担当している国立ジトーミル農業生態学大学によると、栽培後の土壌で水溶性セシウムの減少が確認された」 らしい。

因みにプロジェクトの狙いは土壌改良だけではないらしく、
収穫されるナタネ油には放射性物質が含まれないため、
ディーゼル燃料に加工し茎や根からはバイオガスを作る計画だそう。

ナタネを使った土壌改良プロジェクトは福島県でも導入を検討されており、
計画的避難区域に指定された福島県飯舘村などで:

「今後の本格的な土壌改良に向け、ヒマワリやナタネの栽培の有効性も確認。
早ければ5月にヒマワリ、秋にはナタネを植える。
チェルノブイリ周辺でも汚染土壌で栽培されているが、
土の質が違う日本での有効性を科学的に詰める」

という計画とのことでした。




今日の一言: 
 やっぱり 答えは 人間じゃなくて 謎めく青い星が持っているのかも。。

例えばビタミンC、
ビタミンCはもともとほとんどの哺乳動物は体のなかでつくっています。
つくる能力を失ったのは、人間を含む霊長類(サル類)です。
霊長類ってのもおこがましいですね。。

そんな私達が生き存えているのも 地球に存在した 果物や植物、生き物達のお陰です。
生き存える為に必要だった栄養素が体内では生成出来なくても、地球にあったわけですね。

生き存える為の答えは 必ず 地球が、自然が持っているんじゃないだろうか?

そう思わされました。 
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# by grovewell | 2011-05-23 19:57


ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)  /「核抑止を超えて」-湯川・朝永宣言(1975)

マッドサイエンティストと呼ばれた人間のうち、本当にマッドな科学者達もいますが、腐敗を改めて発酵の道を選んで行った科学者達も居ます。

はたして 彼らが生んだ科学を恨むのは私達の仕事でしょうか?
  
生みの親を恨むべきでしょうか?

それともそれを横暴に使う人間の方を恨むべきでしょうか?

もしかしたらそれよりも私達人類は他にやることがあるのかもしれません。

そんな気持ちにさせられたある文章を今回はのせておきます。

少し長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。


ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)

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人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。

私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。

政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。

私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。

私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。

さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。

戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。

この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。

大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。

私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
決議

私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

1955年7月9日 ロンドンにて
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)




「核抑止を超えて」-湯川・朝永宣言(1975)


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いまから20年前、ラッセルとアインシュタインが宣言を発表し、核時代における戦争の廃絶を呼びかけ、人類の生存が危険にさらされていることを警告した。その宣言の精神に基づいて、私たちは、人類の一員としてすべての人々に、次のことを訴えたいと思う。

広島・長崎から30年、私たちは、核兵器の脅威がますます増大している危険な時代に生きている。今私たちは、一つの岐路に立っている。すなわち、核兵器の開発と拡散がやむことなく行なわれていくか、あるいは、この恐るべき核兵器が絶対に使用されないという確実な保証が人類に与えられるように大きな転換の一歩を踏み出すか、その重大な岐路に立っている。

私たちは、戦争と核兵器の廃絶のために努力を傾けてきた。しかし、それが見るべき成果をあげたとは考えられない。むしろ、その成果の乏しいことに憂いを深めざるをえない。

「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表された当時は、まだ大量の核兵器は存在せず、世界平和の実現のためにその手始めとして熱核兵器の廃絶を行えばよいという考え方が成り立つ時代であった。だが遺憾ながら、その後、私たちは、核軍備競争をくいとめることができなかったばかりでなく、核戦争の危険を除去することもできていない。また種々の国際的な取決めによって、軍備管理という枠組みの中での努力と苦心が積み重ねられたけれども、その成果に見るべきものはない。

したがって、核軍備管理によって問題の解決が可能であるという期待をもつべきではないと、私たちは信ずる。そして核軍縮こそが必要であるという確信を深めざるをえない。というのは、軍備管理の基礎には核抑止による安全保障は成り立ちうるという誤った考え方がある。したがって、もし真の核軍縮の達成を目指すのであれば、私たちは、何よりも第一に核抑止という考え方を捨て、私たちの発想を根本的に転換することが必要である。

もとより私たちは、核・非核を問わず、すべての大量殺戮兵器を廃棄し、また、最終的には通常兵器の全廃を目指して軍備削減を行なうことが極めて重要であると考える。しかしながら私たちは、今日の時点で最も緊急を要する課題は、あらゆる核兵器体系を確実に廃絶することにあると信ずる。

確かに核軍縮は全面完全軍縮を実現するための中間目標にすぎない。しかし、その核軍縮ですら、それに必要な政治的・経済的・社会的条件を満たさない限り、その実現はとうていありえない。

また私たちは、私たちの究極目標は、人類の経済的福祉と社会正義が実現され、さらに、自然環境との調和を保ち、人間が人間らしく生きることのできるような新しい世界秩序を創造することであると考える。

もし核戦争が起これば、破局的な災厄と破壊がもたらされ、そうした新しい世界を創ることは不可能となるばかりでなく、史上前例のないほどに人間生活が破壊されるであろう。このように見れば、核兵器を戦争や恫喝の手段にすることは、人類に対する最大の犯罪であるといわざるをえない。このように核兵器の重大な脅威が存在する以上、私たちは、一日も早く、核軍縮を実現するために努力しなければならない。

私たちは、全世界の人々、特に科学者と技術者に向かって、時間を逸することなく、私たちと共に、道を進まれんことを訴える。さらに私たちは、核軍縮の第一歩として、各国政府が核兵器の使用と、核兵器による威嚇を永久かつ無条件に放棄することを要求する。
1975年9月1日
湯川秀樹
朝永振一郎

宣言署名者
飯島宗一 W・エプシュタイン 小川岩雄
H・オルセン M・カプラン E・E・ガラル
坂本義和 K・スプラマニアム 関寛治
D・ゼンクハース W・C・ダビドン 豊田利幸
H・A・トルホック 西川潤 野上茂吉郎
B・T・フェルト R・A・フォーク P・ブラウ
M・マフーズ O・モーレ F・ヤノホ
山田英二 H・ヨーク C・W・ラスジェンス
J・ロートブラット 渡部経彦


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広島宣言(1995)

広島宣言
1995年7月23日
パグウォッシュ評議会

50年前、2発のアメリカの原子爆弾が広島と長崎という2つの日本の都市を破壊した。そこに発生した2つのキノコ雲は―その下には恐るべき惨状が現出したのだが―、史上最悪の破壊をもたらした戦争の終結を告げるものとなった。しかし、それは同時に、人類が地球規模の核戦争の危険におびえながら暮らさなければならない、新たな時代の開幕でもあった。もし地球規模の核戦争が起これば、第二次世界大戦が6年間に及ぼした以上の災厄が、6時間もかからずに出現することになるであろう。

1945年以来半世紀がたったが、この間、幸いにも全面核戦争は起こらず、核兵器のさらなる戦時使用もなく、文明は生き延びることを得た。これは、分別ある自制と管理の努力が働いた結果という面もあるかもしれない。しかし、幸運にめぐまれなければ核戦争が起こっていたことも確実である。

この50年間で、核兵器を保有していることを内外に公にした諸国の数は1から5に増えた。公にしないまま保有している国の数は、0から3ないしそれ以上に増加した。そして地球という惑星に存在する核弾頭の総数は、現在は漸減し始めているものの、最大時には7万にも達した。

この間、あからさまな核使用の威嚇が幾度となく繰り返された。暗黙の威嚇は絶えず続けられ、核兵器の使用が真剣に検討されたことも、後世の人が理解に苦しむほどの回数に上っている。核戦争の淵まで突き進みながら最後の瞬間にかろうじて抑制が働き回避されたことも、一度ならずあった。このような歴史を綿密に見直すならば、世界に核兵器がありながら今後も引き続き使われずにすむなどという楽観は、ほとんど根拠がないことが明らかになるであろう。

これとは逆に、核兵器自体を解体し、その不保有を誓約し、製造を禁じ、何者かが禁止の網をかいくぐって核物質を手に入れようとしてもそれができないような仕組みを創り出さない限り、核戦争の危険のない真の安全はありえない。真の安全の実現には、さらにそれ以上のことが必要である。なぜならば、核兵器の製造法に関する知識は、人類の記憶から消し去ることができない上、戦時下の極限状況のもとでは、いったん核不保有を誓約していた国々も、新たな核兵器開発競争に踏みきりかねないからである。したがって、諸国間の紛争解決のために戦争という手段が用いられること自体を根絶しなければならない。

こうした考えは、夢物語のように聞こえるかもしれない。しかしその実現に背を向けるならば、次のような結果の到来を甘受しなければならない。すなわち、いつの日にか地球上のどこかで、50年前広島と長崎の街を消し去ったのと同じようなキノコ雲の下で夥しい数の人びとが消滅する事態が、またしても起こり得る、いやそれは確実に訪れるであろう。それが大規模な核戦争であれば、ほとんど反射的に幾百、幾千ものキノコ雲が立ち上ることになろう。また交戦国や、内戦の当事者や、テロリストが、散発的に核攻撃を行なうならば、一個あるいは数個のキノコ雲が見られることになるだろう。

キノコ雲の発生は、それがどこであれ、いつであれ、幾つであれ、とうてい容認できることではなく、絶対に阻止しなければならないと、われわれは考える。そしてそれを阻止するためには、核兵器を禁止し、最終的に、地上から戦争それ自体をなくさなければならないのである。

今日、冷戦は終結し、冷戦下で蓄えられた膨大な数の核兵器の本格的な削減が始まっている。今やわれわれの前には、これまでになかったような機会が出現している。この機会を生かすならば、世界は核兵器と戦争の廃絶という目的の達成に向かって決定的な前進を遂げることができるであろう。われわれはこの機会を掴み取らなくてはならない。さもなくば、この機会は失われ、ついには文明も失われかねないのである。

広島、長崎両都市が核によって破壊されてから50年を経た今日、パグウォッシュ評議会は、1955年のラッセル=アインシュタイン宣言―この宣言こそはパグウォッシュ運動を生み出したものである―が掲げた目標、すなわち核兵器と戦争の廃絶という目標を実現するために全力を尽くすことを、あらためて宣言する。人類一人一人に対して、われわれとともに、この目標にむけて歩みだすよう、よびかけるものである。




あの人の人生を知ろう~湯川秀樹


すべての物質は原子で構成されている。そして原子は電子と原子核に分けられ、あたかも太陽の周りを惑星が公転するかのように、電子は原子核の周囲をまわっている。ただし、太陽系の惑星を支配している力は万有引力。原子の方は電気の力だ。原子核の陽子はプラスなので、マイナス電荷の電子がずっと外側を回っている。ここで問題が出てくる。原子核を構成しているのは陽子と中性子だ。中性子は無電荷。プラスでもマイナスでもない。じゃあ、なぜ陽子と中性子は電気の性質が違うのに、バラバラに崩壊せず原子核を作っていられるのか?ここで湯川は仮説を立てた。両者の間にはとってもとっても小さな粒子「中間子」が存在していて、それをキャッチボールすることで離れ離れにならないのだと。彼がこの予言を日本数学物理学会で初めて発表したのは1934年、まだ27歳の若さだった。

湯川の仮説は一部の学者から注目されたものの、物理学界全体では殆ど鼻も引っ掛けられなかった。また第二次世界大戦が勃発した為に検証どころではなくなってしまった。英国の学者によって実証されたのは戦争終結から2年が経った1947年(論文発表から13年後)。中間子が実在したことはビッグ・ニュースとなって世界を駆け巡り、これを受けて1949年、42歳の湯川は日本人で初めてノーベル賞を受賞した。敗戦からまだ4年、自信を失ったまま傷の癒えていない日本人にとって、この物理学賞受賞という明るいニュースは大いなる希望となった。湯川は、ノーベル賞の賞金の一部を奨学金制度設立に用い、物理学研究で後進の育成に務めた。

このノーベル賞受賞の前年、湯川はオッペンハイマー博士から米国に客員教授として招かれ、今後の人生を変える重大な体験をする。オッペンハイマーはその昔、彼が関っていた専門誌へ湯川が投稿した「中間子論」を一笑に付し、論文掲載を拒否したことがあった。また、自身が開発を指揮した原爆が3年前に日本へ投下されたことへの自責の念もあり、湯川を世界トップクラスの研究所へ招いたのだ。湯川が米国に到着すると、すぐにある人物が研究室を訪ねて来た。アインシュタインだ。
湯川は扉を開けて驚いた。彼のヒーローでもある、70歳になろうかというあのアインシュタインが、湯川の両手を握り締めて激しく泣き出したのだ!そして、何度もこう繰り返した「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった…許して下さい」。原爆はアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論、E = mc2という公式を基にした兵器だった。アインシュタインはナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したユダヤ人。彼はヒトラーが原爆の開発に着手したことを知って危機感を持ち、1939年、ルーズベルト米大統領に対して「絶対にドイツより先に核兵器を製造せねばならない」と進言したのだ。
※1954年、死の前年にアインシュタインは「もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式を破棄していただろう」と語っている。

目の前で世界最高の科学者が肩を震わせて涙に暮れている姿を見て、湯川は大変な衝撃を受けた。「人間」アインシュタインの良心に触れた彼は、学者は研究室の中が世界の全てになりがちだが、世界の平和なくして学問はないという考えに至り、以後、積極的に平和運動に取り組んでいく。彼はまずアインシュタインが推進する世界連邦運動に加わった。これは世界を連邦制にすることで、国家から領土拡大の野望を駆逐するものだ。そして各国の指導者に核兵器廃棄を勧告する平和宣言『ラッセル=アインシュタイン宣言』に署名した11名(全員がノーベル賞受賞者)に名を連ね、科学者を中心としたパグウォッシュ会議(1995年ノーベル平和賞受賞)に参加してゆく。国内では川端康成らと世界平和アピール7人委員会を結成し、反戦と核兵器全廃を訴え続けた。そして地球共同体を夢見ながら1981年74歳で永眠した。

京都を訪れたなら国立京都国際会館に足を運んで欲しい。入口にはこんな湯川秀樹の
碑文がある--『世界は一つ』。





本日の一言:

ラッセルアインシュタイン宣言からの言葉を引用させて頂きますが、

「すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。」 

この言葉が私の胸に突き刺さりました。


生物学上の種の成員として
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# by grovewell | 2011-05-14 23:58


本日調べた事項:  無肥料栽培、自然栽培と有機栽培の違い

某サイトで詳しく明記されていたので、自ら学ぶ意味でも詳細を記しておきます。

Q.有機栽培、無農薬、無肥料栽培、自然農法、特別栽培作物など、いろいろあって、何が何だかよくわかりません。違いは何ですか?

A.この15年位の期間に、農林水産省で有機栽培などに関する表示ガイドラインの変更やJAS法改正が何度も行われ、農産物の呼び方をいろいろと変えたために、私たち消費者には、とてもわかりにくいものになってしまっています。

以前は、有機栽培、無農薬、減農薬、低農薬などという表示をされていました。

けれども、有機物を少しでも使って作物を作りさえすれば、他にいくら化学的な農薬を使用していても「有機栽培」と表示して販売したりすることがあったために、平成12年にJAS法の改正が行われ、「有機栽培(オーガニック)」という表示についてはJAS法の認証制度の認定を受けたものでないと、してはいけないことになりました。

「有機栽培農産物」「有機農産物」「有機○○」「オーガニック○○」などの表示はすべてJAS法の認証制度の認定を受けたものです。

「有機栽培農産物」は化学合成農薬、化学肥料、化学合成土壌改良材を使わないで(ただし、指定された天然系農薬の使用は認められています)、3年以上を経過し、堆肥など(有機質肥料)による土づくりを行った場所で収穫された農産物をさし、3年未満6ヶ月以上の場合は、「転換期間中有機農産物」といいます。

詳しくはこちらをご覧ください━有機農産物のJAS規格


また、無農薬、減農薬、低農薬などの表示については平成16年からなくなり、農水省のガイドラインで、化学合成農薬、化学肥料の両方を5割以上減らして栽培された農産物はすべて「特別栽培農産物」と表示されることになりました。

現在では、「無農薬」「減農薬」などの商品表示は禁止されています。

天敵と特定農薬のみを使用している場合は「農薬:栽培期間中不使用」と表示します。

「特別栽培農産物」という表示をしたいために、農薬回数を減らす方法として、強い農薬を使うこともあると聞きました。

買い物をする時は細かい表示を確認して、信頼できるものを買ったほうが良いでしょう。

詳しくはこちらをご覧ください━特別栽培農産物に係る表示ガイドラインパンフレット



無肥料栽培と自然農法は同じもので、農薬と肥料を一切使用しないで作った作物のことです。それに加えて、自然農法を不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)で、自然にまかせた農法だとする考え方もありますが、そのあたりの線引きはあいまいなようです。

有機肥料を使うと硝酸性窒素が多くなり、それが虫をおびきよせる原因になったり、人間の体にもよくないという考えから、無肥料栽培(自然農法)では肥料を使わないで作物を栽培します。

有機肥料の中には動物の糞尿が含まれており、その中には抗生物質が含まれていて、その影響で土の中の微生物バランスが崩れて特定の病原菌が突出してしまうそうです。

肥料をまかずに土を元気にすることで、元気な野菜が育つということです。


参考:有機農産物及び特別栽培農産物に係る表示ガイドライン




本日学んだ事:  
長生の様な海岸に近い砂地の様な土地でも「山の土」を目標に土作りに励む。
これは祖父から父親、そして私、そして将来の子供達に渡る畑の土。
現時点では15年間ではありますが、土作りの研究に励んでおります。
土から学ぶべき事は沢山あります。    

地表の温度と50cm深く掘った地中の温度に1℃程しか変化の無い「山の土」をいかにして畑の土とするか。  祖父が生涯を通して励んで来た意思を継いで行きたい想いであります。

百姓の語源:
 『百姓』の『百』は『たくさん』、『姓』は『かばね』、
 これは古代の苗字に当たるもので、苗字は昔、職業を表した。
 要するに姓は『能力』を意味する。
 従って、たくさんの能力がないとできない仕事が『百姓』である。

という解釈もあるみたいです。

百姓(ひゃくしょう) - 語源由来辞典より↓

百姓は、「ひゃくせい」とも読み、「しょう」と読むのは呉音。
百姓の「百」は「たくさん」、「姓」は「かばね(豪族が氏(うじ)の下につけた称号)」のことで、
古代において百姓は、「もろもろの姓を有する公民」の意味であった。
やがて、百姓は「一般人民」や「庶民」の意味となり、社会的身分と職業が相応するようになった中世頃より、農民の意味で固定していった。






天の事、土の事、虫の事、風の事、水の事、、、
百を承知するにはまだ 一も知らぬ我が身ではありますが、日々精進して参りたいものです。


酒粕で作ったあんぱん

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# by grovewell | 2011-05-12 02:00


今日は母の日:   命の大合唱を聞きながらの畑仕事 in 長生村  

今日は母の日でしたね 皆さんはどんな一日でしたか?

私は家族で畑仕事をしておりました。



あれ こんなところに  こんにちは! トカゲくん!

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ひょっこり 赤ら顔の   はつか大根 

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ちょっと大きくなり過ぎちゃったものもあるけれど、収穫して洗ってすぐにかじりついたらいい味出してました。

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はつか大根


先日 めかき を終わらせた 「ジャガイモ」 も地中ですくすく育っています。
今日は 「うね寄せ」しました。  
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空豆もだんだん太ってきています。

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キウイフルーツの花   すでにキウイな顔をしてらしゃる。 
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ブルーベリーの花   これも キウイフルーツ同様  雄木と女木の劇的な巡り合わせにより実をつけます。

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実をつけるには虫さんがその手助けをしてくれます。  
もし虫さんが 無視してしまってなかなか実らないときは、
 しかたなく僕らが 雄木と女木をごっつんこさせます。
でも出来るだけ虫さんに委ねたいです。  
運命って  人工的なものだと ちょっとね。。

まさに運ばれる命、運ぶ命。


今日はキジが 「ケ〜ン ケ〜ン」 とよく鳴いていました。

虫の音の倍音で「じーじー ビービー ビヨビヨ」、 牛屋さんの「モ〜」 に
牛屋さんの番犬の「わんわん!」   キジが「ケンケン」 大合唱。

今日は サザンカ を2本植えました。
又、千葉の県木でもある「マキ」の手入れ。
「すみません ここちょっと伸びているので切っても宜しいでしょうか?」
と、マキに 話しかけながら 夏に向けての散髪をしました。
でも時折、「あっちょっとそこは〜 大事なチャームポイントなので〜切らないで下さい。」
というマキさんのお声も聞こえ、  「了解です。ここは残します。」などと心の声で会話してました。。

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たっとい命を いただきます!    


柿の葉の天ぷら
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春菊、セニョール、新タマネギの天ぷら

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新タマネギは 残念ながら我が家のではありません。。 九州の農家の友人から送って頂いたもの。
有り難うございます。 本当に甘くて最高に美味しいです。


アスパラ菜とカブのお味噌汁
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今日の一言:

太陽よりも早く起きて
寝ぼけまなこをこすりつつ
祖母と同時に 一つつく あくびも なんだか 嬉しいな
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# by grovewell | 2011-05-08 22:07


本日学んだ事  〜素材を殺さず そのものの能力を引き出す事〜

本日学んだ事   それは、〜素材を殺さず そのものの能力を引き出す事〜 

人間には必要な菌もあれば不必要な菌もあるのです。
それを必要な菌まで殺してしまうのが科学的なものです。


本日たしなめた酒

■むすひ (寺田本家)

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昨夜になりますが音楽仲間とたしなみました。
むすひは生きている酒です。 
これをお腹に入れる事でお腹の調子も整ってゆき、
身体の調子が良くなってゆきます。
酵母菌や酵素が沢山含まれている醱酵食品です。
アルコール10%程あります。 
お酒の呑めない方でも、乳酸菌が作り出した乳酸が沢山含まれていますので、
酸味の強いどぶろくのようなお酒です。
豆乳やリンゴジュースなどを加えても美味しく召しあがれます。
味は好き嫌い分かれますが、悪いものが一切入っていない非常に健康的なお酒です。 

■香取(寺田本家)

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無ろ過酒

精米歩合80%
生酛仕込みの本領を発揮した低精米ならではの独特な味わいと香り。
お米が立っているような白飯ご飯をおかずなしで 一口ほおばった事がある方はその美味しさにホッペタが落ちそうになった事があるでしょう。
私にとってはそんな美味しさです。

■なんじゃもんじゃ(寺田本家)

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亀の尾仕込み。
亀の尾は昭和初期の頃迄作られていた在来種のお米。
自家田と近隣の農家で栽培されたその米本来の生命力・野生味を活かした生原酒の味わい深いコク、
キレの良い酸味があります。 
 「香取」よりも私は若干刺激が強い気がしましたが。同様素晴らしい酒です。


■隅迺江 (宮城県  石巻市) 
被災地のため来期の生産を諦めざれなくさせられた酒蔵の酒です。

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非常にフルーティーで香り高いまろやかなお酒でした。
身体に良いか悪いかの判断はたしなめた程度では分からなかったですが、
今回の震災の為、来期の酒造りをあきらめざるおえない結果となってしまった酒蔵の酒です。
感慨深く頂きました。

杜氏:伊藤亮一
    (南部杜氏 昭和13年4月27日生 65歳)
仕込水:北上川の伏流水

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なんと今回の震災で被災した 日本酒の蔵は「100件を超えています!」

地場産業の日本酒、この地震で更に危機的状況にあります。
「日本酒を買って呑む」 この行為の出来ない地元の環境、今以上に作った日本酒が売れないと沢山の蔵が潰れ、これに携わる酒販店、農家、企業も連鎖反応で危険にさらされます。
真剣に私自身も義援金活動に取り組んで行きます。

まずは、被災地へおもむき、日本酒の蔵や日本の伝統工芸品を作る場を訪ねて行きたいと思います。
そこでどのような状態が起こっているのかこちらのブログでも報告したいと思います。


本日の一言

「醸造アルコールには気をつけろ!」  

皆さんの大好きな日本酒はもしかしたら「醸造アルコール」というものが含まれている可能性があります。
近くの酒屋さんを訪ねてみて下さい。  
ほとんどの市販されている日本酒のラベルには「醸造アルコール」という表記が含まれています。
これは簡単に言えば 売り上げやお金を先行したが故に大量生産の末、
混ぜなければならなくなった「ケミカル」です。   

 又、「純米酒」とうたっていても、 精米歩合 〜%と書かれているラベルがありますが、
精米歩合55や60%と高い割合でも  もしかしたら 無農薬米を使っていない場合があります。
その場合はやはりなんらかの「ケミカル」が使用されていると言っても過言ではありません。

素材そのものの能力を引き出し、素材を殺さずに「活かす」料理や酒に注目してゆき、
心も身体も健康でいたいものです。
そして本気で「無農薬」にこだわって身を切り刻む様な思いで農業、酒造へ挑んでいらっしゃる方々へも
心よりの応援を込めて、なるべく身体にも良い、地球にも良いものを頂きたいですね。

選ぶのは自分自身ですから。

酒は百薬の長です。 ですが、選び間違えれば 「毒」になります。

60歳〜70歳になってから気付く方も居ます。  「醸造アルコール」。
出来れば若いうちに気付いてゆきたいものです。 


※精米歩合(せいまいぶあい)とは、平成元年(1989年)11月22日 国税庁告示第8号「清酒の製法品質表示基準を定める件」により以下のとおり定められている。

「精米歩合とは、白米のその玄米に対する重量の割合をいうものとする。」

同件による規定に基づくと、この場合「白米」(はくまい)とは、玄米(げんまい)から糠(ぬか)、胚芽(はいが)などの表層部を取り去った状態の米をいい、米麹の製造に使用する白米を含むとされ、また「米麹」(こめこうじ)とは「白米にこうじ菌を繁殖させたもので、白米のでんぷんを糖化させることができるもの」とされている。精米歩合とは逆に、玄米の重量に対する除去された部分の重量の割合を精白歩合と言うこともある。




明日は畑です。  太陽よりも早く起きないと!

ではまたまた!
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# by grovewell | 2011-05-08 00:47


伝統的工芸品とは

伝統的工芸品とは
● 伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)について

 「一定の地域で主として伝統的な技術又は技法等を用いて製造される伝統的工芸品」の「産業の振興を図り、国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的」としています。
 伝統的工芸品は、我が国の伝統的工芸品産業は、伝統的技術・技法を伝承するとともに、国民生活に豊かさと潤いを与えてきた産業であり、地域の資源・技術を基盤に、もの作り産業を形成し、長い歴史・風土の中で培われ、地域経済の発展と、雇用の創出に貢献しています。
 このため、経済産業省の支援は、その文化性に着目した技術・技法の保護・保存をすることのみを目的とせず、伝統的工芸品産業を産業活動として維持・発展することに主眼を置き、支援を行っています。
 工芸品の産地組合等からの申請に基づき、指定要件を満たすものを経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定します。指定を受けた産地では、振興計画を作成して経済産業大臣の認定を受けた後、その振興計画に基づいて事業を行うのに必要な経費の一部を国から補助を受けることができます。

全国の伝統的工芸品指定品目一覧
 経済産業大臣が指定した工芸品のことを言い、現在、全国では210品目、東北地区では21品目が指定を受けています。

経済産業大臣が法律(伝産法)により指定する全国の伝統的工芸品、211品目 (2009年4月現在)は以下の通りです。結城紬(茨城県/栃木県)、羽越しな布(山形県/新潟県)、本場大島紬(鹿児島県/宮崎県)、出雲石燈籠(島根県/鳥取県)、江戸木目込み人形(埼玉県/東京都)の5品目については、複数の産地で生産されているため重複して表記しています。

●織物

置賜紬(山形県)
結城紬(茨城県)
結城紬(栃木県)
伊勢崎絣(群馬県)
桐生織(群馬県)
村山大島紬(東京都)
本場黄八丈(東京都)
多摩織(東京都)
塩沢紬(新潟県)
本塩沢(新潟県)
小千谷縮(新潟県)
小千谷紬(新潟県)
十日町絣(新潟県)
十日町明石ちぢみ(新潟県)
信州紬(長野県)
牛首紬(石川県)
近江上布(滋賀県)
西陣織(京都府)
弓浜絣(鳥取県)
阿波正藍しじら織(徳島県)
博多織(福岡県)
久留米絣(福岡県)
本場大島紬(宮崎県)
本場大島紬(鹿児島県)
久米島紬(沖縄県)
宮古上布(沖縄県)
読谷山花織(沖縄県)
読谷山ミンサー(沖縄県)
琉球絣(沖縄県)
首里織(沖縄県)
与那国織(沖縄県)
喜如嘉の芭蕉布(沖縄県)
八重山ミンサー(沖縄県)
八重山上布(沖縄県)
羽越しな布(山形県/新潟県)

●染色品

東京染小紋(東京都)
東京手描友禅(東京都)
有松・鳴海絞(愛知県)
名古屋友禅(愛知県)
名古屋黒紋付染(愛知県)
加賀友禅(石川県)
京鹿の子絞(京都府)
京友禅(京都府)
京小紋(京都府)
京黒紋付染(京都府)
琉球びんがた(沖縄県)

●その他繊維製品

伊賀くみひも(三重県)
加賀繍(石川県)
京繍(京都府)
京くみひも(京都府)

●陶磁器

大堀相馬焼(福島県)
会津本郷焼(福島県)
笠間焼(茨城県)
益子焼(栃木県)
赤津焼(愛知県)
瀬戸染付焼(愛知県)
常滑焼(愛知県)
美濃焼(岐阜県)
四日市萬古焼(三重県)
伊賀焼(三重県)
九谷焼(石川県)
越前焼(福井県)
信楽焼(滋賀県)
京焼・清水焼(京都府)
丹波立杭焼(兵庫県)
出石焼(兵庫県)
石見焼(島根県)
備前焼(岡山県)
砥部焼(愛媛県)
小石原焼(福岡県)
上野焼(福岡県)
伊万里・有田焼(佐賀県)
唐津焼(佐賀県)
三川内焼(長崎県)
波佐見焼(長崎県)
壺屋焼(沖縄県)
薩摩焼(鹿児島県)
萩焼(山口県)
大谷焼(徳島県)
小代焼(熊本県)
天草陶磁器(熊本県)

●漆器

津軽塗(青森県)
秀衡塗(岩手県)
浄法寺塗(岩手県)
鳴子漆器(宮城県)
川連漆器(秋田県)
会津塗(福島県)
鎌倉彫(神奈川県)
小田原漆器(神奈川県)
村上木彫堆朱(新潟県)
木曽漆器(長野県)
飛騨春慶(岐阜県)
高岡漆器(富山県)
輪島塗(石川県)
山中漆器(石川県)
金沢漆器(石川県)
越前漆器(福井県)
若狭塗(福井県)
京漆器(京都府)
紀州漆器(和歌山県)
大内塗(山口県)
香川漆器(香川県)
琉球漆器(沖縄県)
新潟漆器(新潟県)


●木工品

岩谷堂箪笥(岩手県)
樺細工(秋田県)
大館曲げわっぱ(秋田県)
秋田杉桶樽(秋田県)
春日部桐箪笥(埼玉県)
江戸指物(東京都)
箱根寄木細工(神奈川県)
加茂桐箪笥(新潟県)
松本家具(長野県)
南木曽ろくろ細工(長野県)
井波彫刻(富山県)
一位一刀彫(岐阜県)
名古屋桐箪笥(愛知県)
京指物(京都府)
大阪欄間(大阪府)
大阪唐木指物(福井県)
大阪泉州桐箪笥(大阪府)
豊岡杞柳細工(兵庫県)
紀州箪笥(和歌山県)
宮島細工(広島県)
奥会津編み組細工(福島県)

●竹工品

江戸和竿(栃木県)
駿河竹千筋細工(静岡県)
大阪金剛簾(大阪府)
高山茶筌(奈良県)
勝山竹細工(岡山県)
別府竹細工(大分県)
都城大弓(宮崎県)

●金工品

南部鉄器(岩手県)
山形鋳物(山形県)
東京銀器(東京都)
燕鎚起銅器(新潟県)
越後与板打刃物(新潟県)
信州打刃物(長野県)
高岡銅器(富山県)
越前打刃物(福井県)
堺打刃物(大阪府)
大阪浪華錫器(大阪府)
播州三木打刃物(兵庫県)
土佐打刃物(高知県)
肥後象がん(熊本県)
越後三条打刃物(新潟県)

●仏壇・仏具

山形仏壇(山形県)
新潟・白根仏壇(新潟県)
三条仏壇(新潟県)
長岡仏壇(新潟県)
飯山仏壇(長野県)
名古屋仏壇(愛知県)
三河仏壇(愛知県)
金沢仏壇(石川県)
七尾仏壇(石川県)
彦根仏壇(滋賀県)
京仏壇(京都府)
京仏具(京都府)
大阪仏壇(大阪府)
広島仏壇(広島県)
八女福島仏壇(福岡県)
川辺仏壇(鹿児島県)

●和紙

内山紙(長野県)
美濃和紙(岐阜県)
越中和紙(富山県)
越前和紙(福井県)
因州和紙(鳥取県)
石州和紙(島根県)
阿波和紙(徳島県)
大洲和紙(愛媛県)
土佐和紙(高知県)

●文具

雄勝硯(宮城県)
豊橋筆(愛知県)
鈴鹿墨(三重県)
播州そろばん(兵庫県)
奈良筆(奈良県)
雲州そろばん(島根県)
熊野筆(広島県)
赤間硯(山口県)
川尻筆(広島県)

●石工品・貴石細工

真壁石燈籠(茨城県)
甲州水晶貴石細工(山梨県)
岡崎石工品(愛知県)
若狭めのう細工(福井県)
京石工芸品(京都府)
出雲石燈ろう(鳥取県)
出雲石燈ろう(島根県)

●人形

宮城伝統こけし(宮城県)
江戸木目込人形(埼玉県)
江戸木目込人形(東京都)
駿河雛具(静岡県)
駿河雛人形(静岡県)
京人形(京都府)
博多人形(福岡県)
岩槻人形(埼玉県)
江戸節句人形(東京都)

●その他工芸品

天童将棋駒(山形県)
江戸からかみ(東京都)
甲州印伝(山梨県)
甲州手彫印章(山梨県)
尾張七宝(愛知県)
岐阜提灯(岐阜県)
京扇子(京都府)
京うちわ(京都府)
京表具(京都府)
播州毛鉤(兵庫県)
福山琴(広島県)
丸亀うちわ(香川県)
八女提灯(福岡県)
江戸切子(東京都)
房州うちわ(千葉県)

●工芸用具・材料

伊勢形紙(三重県)
庄川挽物木地(富山県)
金沢箔(石川県)
江戸木版画(東京都)

伝統的工芸品の表示について

 経済産業大臣により指定を受けた伝統的工芸品は個々の商品に「経済産業大臣指定伝統的工芸品」という表示を付することができます。  この表示は検査方法、検査基準等の検査規定について経済産業大臣の認定を受けた伝統的工芸品製造業者の協同組合等が行います。この検査は経済産業大臣が伝統的工芸品として指定した内容(伝統的技術、技法、原材料及び製造地域)に適合しているかどうかの検査です。従って、この検査に合格し「経済産業大臣指定伝統的工芸品」の表示がされているものは、まちがいなく伝統的工芸品といえます。

伝統マークと伝統証紙について

(1)伝統マーク
 伝産協会では、伝統的工芸品の表示、その他の宣伝について統一イメージで消費者にアピールするため、伝統的工芸品のシンボルマークとして「伝統マーク」を定め、経済産業大臣の指定を受けた伝統的工芸品業界全体で使用することとしています。「伝統マーク」は著名なデザイナーの亀倉雄策氏のデザインによるもので、伝統の「伝」の字と、日本の心を表す赤丸とを組み合わせたものです。
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(2)伝統証紙
 伝統的工芸品の表示のために、伝産協会が発行する伝統マークを使用した証紙を「伝統証紙」といいます。この表示は、特定製造協同組合等が経済産業大臣の認定を受けた振興計画及び経済産業省製造産業局長の認定を受けた「伝統証紙表示事業実施規程」に基づいて、特定製造協同組合等が実施することができます。

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 この伝統証紙を貼付して、伝統的工芸品の表示を行うには、

1、 伝産協会作成の「伝統的工芸品統一表示事業実施規程」に従うとともに特定製造協同組合等は、
伝統証紙使用許諾契約を交わす必要があります。

2, 特定製造協同組合等は「伝統証紙表示実施規程」に従い、
対象となる伝統的工芸品について検査を行い、
検査基準に合格したものに「伝統証紙」を貼付します。

 伝産協会が実施している伝統的工芸品統一表示事業は統一された「伝統証紙」を貼付することにより、消費者が伝統的工芸品を安心して購入できるマークであり、職人にとっては、「伝統を誇る手作りの証」です。伝統的工芸品には、かなり精巧な類似品も多く、一般消費者にとってはその識別はかなり困難であるため、消費者に対して識別の目安を提供することは極めて重要です。
 伝統的工芸品の表示には、

1 「経済産業大臣指定伝統的工芸品」の文字
2 「伝統的工芸品の名称」
3 「特定製造協同組合等の名称」

 が必ず明記されています。また、すべて連番による管理番号を入れ、仮に事故が発生した場合には、生産者まで遡ってその責任を追及することができるようになっています。
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# by grovewell | 2011-05-07 16:42


伝統工芸士について

● 伝統工芸士とは?

 伝統的工芸品は、その主要工程が手作りであり、高度の伝統的技術によるものであるため、その習得には長い年月が必要とされます。また、生活様式の変化に伴い、伝統的工芸品の需要が低迷していることなどにより後継者の確保育成が難しく、業界全体の大きな課題となっています。
 この課題に対処するため、(財)伝統的工芸品産業振興協会(伝産協会)においては、「若者にやりがいと目標を与える制度」の一環として、平成4年9月17日付通商産業省官報告示「伝統的工芸品等の製造に関する知識、技術及び技法の審査・証明事業認定規定」に基づき、経済産業大臣指定伝統的工芸品及び工芸用具または工芸材料の製造に従事する者を対象に「伝統工芸士認定試験」を実施し、合格した者を「伝統工芸士」として認定しています。
 なお、受験資格は、当該伝統的工芸品等の製造に現在も直接従事し、12年以上の実務経験年数を有している者としています。実務経験年数には、専門養成期間の修得期間が含まれます。


● 伝統工芸士の認定登録

 認定登録を受けた伝統工芸士は、「伝統工芸士認定事業実施要領」により当該産地伝統工芸士会を結成し、同会に入会するとともに、伝統工芸士相互の交流及び活動を通じ、当該産地振興に努めなければければならないと定められています。
 また、産地伝統工芸士会は、日本伝統工芸士会に加入することが義務付けられています。
 平成19年度までに192産地から6,614名(うち女性706名)の伝統工芸士が認定され、後継者の育成や教育現場での普及活動などで活躍しています。
● 日本伝統工芸士会

 日本伝統工芸士会は、全国の伝統工芸士が一体となり、伝統的技術保持者としての自覚を高め、その社会的地位の向上に努めるとともに、親睦と情報交換を行うことにより、伝統的技術・技法の継承・向上を図り、我が国の伝統的工芸品産業の振興に寄与することを目的として昭和56年6月19日設立されました。目的を達成するための事業として全国伝統工芸士大会及び全国伝統工芸士展の開催、会報「手仕事の詩」の発行を行っています。
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# by grovewell | 2011-05-07 16:40


東北の伝統工芸MAP

東北の伝統工芸MAP
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# by grovewell | 2011-05-07 16:30


日本の伝統工芸品を見直そう : 東北の伝統工芸品 【青森県-津軽塗】 最北端の伝統漆器

東北の伝統工芸品
http://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/list.html

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産地:青森県 弘前市、青森市、黒石市、平川市、藤崎町、板柳町、深浦町 

歴史:
津軽塗の始まりは、元禄年間(1600年代末~1700年代初頭)に遡り、津軽四代藩主信政(1656~1710年)の時代に召し抱えられた塗師池田源兵衛が創始者と伝えられています。
津軽塗が産業として形を整えたのは、明治初頭で藩政下に積み重ねられた伝統技術を土台に産業化の糸口が開かれました。
その後も多くの工人達が創意工夫を凝らし、技術を磨き今日の津軽塗を築き上げてきました。

特徴:
我が国最北端の伝統的漆器として津軽ヒバを素地に木地に布を貼り、各種の色漆を塗重ね研ぎを繰り返し、50工程余りを経て作られる小紋風の粋なパターンの「ななこ塗り」、つや消しの渋い黒地がモダンな肌合いの「紋紗塗り」など多彩な技法を駆使し堅牢で優美な塗りが特徴です。

産地PR・最近の取り組み、課題など:
 伝統という名にあぐらをかけばその工芸は取り残され、しまいには滅びてしまうことになりかねない。
その事を良く理解している若手職人たちの活躍ぶりは最近特に目を見張るものがあり、伝統を保持しながら新しい時代に対処しようとする伝統工芸の世界に身を置く人、あるいは表現芸術に励んでいる人、また産業工芸という言葉をクラフトという名に置き換えた大衆向けの工芸を製作している人など様々な若手職人がしっかりと存在し、世界へ向けた新しい津軽塗ブランドの創造が始まっている。

指定年月日

昭和50年5月10日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:25


伝統工芸品を見直そう: 岩手県 南部鉄器

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産地: 岩手県 盛岡市、奥州市

歴史:

 岩手県を代表する特産品として人気のある南部鉄器は、江戸時代南部藩のもとで、茶の湯釜、鉄びんを中心に盛岡で発達したものと、伊達藩領であった旧水沢市に早くから根づいた日用品鋳物を中心として発達した、この二つの産地から形成されております。
このような関係から、昭和34年、南部鉄器協同組合(昭和24年設立)と水沢鋳物工業協同組合(昭和29年設立)が全県的な組織のもとに、共同の利益の保護増進並びに業界の振興発展を図ることを目的に連合会が設立されたのです。
現在でも昔ながらの伝統的技術・技法を受け継いで、茶の湯釜や鉄びんなどを一つ一つ手づくりで作っております。また南部鉄器は昭和50年、国の伝統的工芸品として第一次で指定されております。

特徴:
17世紀中頃南部藩の盛岡で京都から釜師を招いて茶の湯釜をつくらせたのが始まりです。
伊達藩の水沢では古くから日用品鋳物の生産が盛んです。今日でも焼型、乾燥型の鋳型作り、紋様押し、肌打ち、漆仕上げ等の伝統的技法により生産されています。
「質実剛健・丈夫で長持ち」これが南部鉄器のイメージですが、描かれた様々な絵柄紋様は作り人の心の機微や温もりが肌で感じさせてくれます。

産地PR・最近の取り組み、課題など:
昔ながらの伝統技法を守りながらの茶の湯釜・鉄瓶製作に加え、現代の生活様式にも幅広く受け入れられるようなデザインの新商品開発や、海外向けの製品の開発・海外見本市への出展などにも取り組んでいます。

指定年月日:
昭和50年2月17日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:24


伝統工芸品を見直そう: 岩手県 岩谷堂箪笥

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産地:
岩手県 奥州市(江刺区)、盛岡市

歴史:
岩谷堂箪笥の起源は天明年間(1781~1788年)に遡ります。時の岩谷城主、岩城村将が家臣の三品茂左衛門に車付箪笥や長持などの木工家具の商品化を研究させたのがその始まりとされています。
 岩谷堂(現在の奥州市江刺区)は、平泉文化を築いた藤原氏の初代・清衡が平泉に移るまでの約30年間ここを本拠地としていたこともあり、鋳金や木工などの工芸の伝統は古くからありました。

特徴:

欅や桐等を素材とし、漆塗りの上に、手打手彫りの堅牢で優美な金具が取り付けられています。鍵のかかる金具が用いられるのは金庫の役目をするからです。重厚で伝統的な和箪笥です。

産地PR・最近の取り組み、課題など:

岩谷堂箪笥は嫁入り道具の一つとして日本の伝統に培われた高級家具であったが、現代の住環境の変化、生活様式の洋風化などから需要が減少しつつある。
それに伴い、デザインを再考する必要があると考え、岩手大学との産学連携における共同研究での伝統技術を守りながら日常の生活空間に適合性のある箪笥のデザイン開発を試みました。
組合HPにも紹介しておりますのでご覧下さい。
Web: 岩谷堂箪笥生産協同組合ホームページ

また、伝統的工芸品事業活用フォーラム事業においてデザイナーとパートナーを組み、現代生活に適合するデザインの試作品開発に取り組んでいます。


指定年月日:
昭和57年3月5日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:23


伝統工芸品を見直そう: 岩手県 秀衡塗

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産地:
岩手県 盛岡市、花巻市、一関市、奥州市、平泉町、滝沢村

歴史:
秀衡塗は、平泉町に栄華を極め、中尊寺金色堂をはじめとする仏教美術をこの地にもたらした奥州藤原氏にその起源を発しています。
現在では発掘により工房が存在したことも確認されていますが、藤原氏滅亡以後数百年の歴史は未だ定かではありません。
江戸時代後期からは平泉町隣村の衣川村で漆器が盛んに製造されていましたが、昭和30年の衣川ダム建設によって全国でも異例の産地分裂となり、現在に至っています。

特徴:
秀衡塗は、菱形の金箔を使い漆絵でデザイン化した草花を描いてある秀衡文様が特徴で、素朴ながら華麗な味わいを見せます。
堅牢な本堅地下地を用い、加飾は当時に伝わる時代椀である「秀衡椀」を模範に有職菱文様が描かれます。
 この地方は、漆と金の特産の地でもあったことから、金箔を用いた造りが受け継がれ、朱と黒と金の基調の中に春秋草花紋が配された、光沢を抑えた仕上が漆本来の美しい艶を味わうことができ、使う人の心をなごませてくれます。

指定年月日:
昭和60年5月22日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:22


伝統工芸品を見直そう:岩手県 浄法寺塗

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産地:
岩手県 盛岡市、滝沢村、二戸市、八幡平市

歴史:
浄法寺塗は中世に岩手県北部を支配していた豪族「浄法寺氏」の名前に由来しており、地名にもなりました。
土地の伝承によれば、神亀5年(728年)行基がこの地に天台寺を建立した時中央から僧侶が派遣され、自家用の什器を作るために漆工技術も伝えられました。
藩制時代には南部藩の重要な産物として天台寺周辺から旧安代町付近まで産地を拡大し、「御山御器」の名前で知られ、現在の産地の基礎となっています。

特徴:
製品は、日常使用される汁椀・飯椀・片口のほか時代椀には、加飾の入ったものもあります。
その殆どが、無地の本朱・黒・溜色による光沢を抑えた単色の仕上げとなっており、最大の国産漆生産地である良質の原材料を用いた飽きのこない柔らかな艶の質感に仕上げたのが大きな特徴です。 
 製品には、菱形の金箔を使い漆絵でデザイン化した草花を描いてあります。

指定年月日:
昭和60年5月22日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:21


伝統工芸品を見直そう: 秋田県 樺細工

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産地:
秋田県 仙北市

歴史:
樺細工の産地旧角館町は、秋田県の中央、仙北平野の北部に位置し、清流玉川と桧木内川に挟まれた城下町としての藩政時代はもとより明治以降においても政治経済の中心地であった。
 角館の樺細工は、天明年間(1771~1788年)俸禄だけではとても生きられなかった下級武士の手内職として始められた。天明の頃は、大凶作、飢鐘の時代でもあり、藩を挙げて殖産興業に励む経済力もなく、元手のかからない自生する近在の山桜の樹皮を剥いで細々とつくられていた時代であった。
 角館の樺細工は、こうした下級武士の困窮に育まれたと言っても過言ではない。
 その後、紆余曲折の時を経て現在従事者約三百名、年間生産額十数億円、角館の基幹産業に成長してきた。

特徴:
 樺細工は、世界でも珍しい山桜の樹皮を木地の表面に張ったもの又は積層状に貼り重ねた樹皮を彫刻したもので、独特な技法により山桜の樹皮の特有な美しさを表現した製品です。
 樹皮の種類には、あめ皮、ちらし皮、ひび皮など10種類以上あり、用途により使い分けられ、仕上げられた作品には、同一のものはありません。
 実用的な堅牢さと渋い野趣ある味わいを持ち、強靱で防湿性に優れ、長年の使用とともに独特の光沢が増してきます。

産地PR・最近の取り組み、課題など:

樺細工の材料となる樹皮は山桜と称するもので「ヤマザクラ、カスミザクラ、オオヤマザクラ」の樹皮を使用している。
樺細工が、この地に誕生して200年以上経過した現在、秋田県内の山桜の樹皮は殆ど採取されたといってよい。
年間の使用量は百トン、金額にして約一億円に達する。
現状は岩手県、青森県、福島県、宮城県産の樹皮が供給の大半となり、伝統的工芸品樺細工の存続に大きなウエイトを占めている。
 これまで、国、秋田県の支援をうけ原材料確保「山桜植栽事業」に取り組み、良質の樹皮を期待しながら試行錯誤を続けている。
 角館は、桜の名所として全国的に知られ、毎年80万人程の観光客が訪れる。そんな折、樺細工に触れて親しんでもらいたいと願っています。

指定年月日:
昭和51年2月26日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:19


伝統工芸品を見直そう:秋田県 川連漆器

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産地:
秋田県 湯沢市

歴史:

国の伝統的工芸品、川連漆器の産地である湯沢市は、秋田仏壇の産地でもあり、稲庭うどんの里でもある。
 秋になり収穫の時期を迎える頃、この地を治めた小野寺氏の居城した高台から見ると、一面の黄金色の稲穂、これはまるで稲の庭…稲庭の名前の由来である。その地に立つと皆うなずく絶景である。

 今からさかのぼること800年、農業主体の川連村は1年の半分は雪に覆われ、何か副収入を得なければ生活できないほど困窮していた。
 その折、源頼朝の家臣である小野寺重道公が、平氏討伐に出陣し、大きな手柄をたて、この地を支配することになる。
小野寺氏は稲庭に居城し、その弟である道矩は、川連に住まいを移し、農民に内職として武具に漆を塗ることを教えた。漆は藩の計らいで容易に調達でき、また、何よりも自然に恵まれるなど好条件が重なった。
奥羽山脈の山ふところに位置し、雄大な皆瀬川を利用した、栗駒山系のブナの原木が木流しされた。
漆は、当時の職人が豊富な山林に自ら赴いて漆掻きをするという自給が可能であった。

 武具から始まった漆塗りも、やがて江戸時代の後期になり、日用食器としての椀づくりが始まるのである。この頃になると商人も現れ椀師工程絵図も描かれ、いよいよ産業基盤が確固たるものになって行く。
途中、何回も危機に直面し、特に天保の飢鐘、戦後の大不況と大きな危機があり、産地が消滅しかねない状態もあったが、当産地は地道に着実に発展を遂げていった。
昭和31年、稲庭、川連ほか二村が合併して稲川町なり、更に平成17年の市町村合併により湯沢市となった。

 川運漆器の主流は椀であり、6割以上を占めているが、今では幅広いアイテムを開発している。
伝統を守りながらも時代に即応したものづくりにチャレンジし、また、関東を中心として徐々に販路を拡大し、全国に川連漆器の良さが浸透している。

特徴:

何回も繰り返される「地塗り」と「中塗り」を経て塗り立てと言われる「花塗り」で仕上げ乾燥するのが特徴。丈夫で使い易く廉価なため、普段使いに喜ばれている実用漆器である。
お椀などの原材料は、ブナと栃が主。また、重箱などは朴の木を使う。堅牢な下地、中でも「地炭付け」「柿研ぎ」及び生漆を塗る「地塗り」は、代表的な下地工法である。この堅牢さが川連漆器の特徴の一つである。

 二つ目の特徴は、上塗りは塗り立てともいわれる「花塗り」である。これは、ムラなく平滑に漆を塗り、かつ埃もつけないようにするために気を引き締める瞬間でもあり、最も高度な技術を要するところである。

 三つ目は、沈金技術である。蒔絵よりも歴史は新しく、明治からと言われている。
ノミのような沈金カンナで彫刻刀のように押し出すのが輪島に代表される一般的な技術であるが、当地では、手前に引いていわば逆動作をする沈金カンナを開発した。これにより浅彫りが可能となり、繊細で立体感のある沈金ができるようになった。

産地PR・最近の取り組み、課題など:

蔵出し市、川連塗りフェア等地元へ集客しての展示販売会によるPRや市場物産展への積極的な参加によるPRを行い、川連漆器の魅力を伝え、産業振興に努めている。
 近年は、若手グループによる事業活動(チーム匠、五人衆、ミッション21等)によって、若い感性を取り入れた新商品開発に取り組んでいる。

指定年月日:
昭和51年12月15日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:18


伝統工芸品を見直そう: 秋田県 大館曲げわっぱ

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産地:
秋田県 大館市

歴史:

佐竹義宣候が関が原の戦いに豊臣方として惨敗を喫し、1602年に水戸より秋田へ減禄移封された時、領民の窮乏甚だしく、その日の糧に困る者さえある程でした。
大館城主佐竹西家は領内の豊富な森林資源を利用して窮乏を打開するため下級武士たちに命じ、副業として曲げわっぱの制作を奨励しました。
また農民には、年貢米の供出代替として、山から城下まで原木を運搬させたといわれています。製品は酒田・新潟・関東等へ運ばれました。
 平安時代の遺跡から曲げわっぱの柄杓が発見されており、その起源はたいへん古いものと推測されます。

特徴:

天然秋田杉を薄く剥いで柾目を取り出し独自の技術で曲げ輪を作り、山桜の樹皮にて縫留めして製作します。
美しい木目と柾目の香りが冴え、軽く弾力性に富み、細かい均等な年輪の揃った鮮虹色又、淡黄色の明るい優美な木目を生かした色合いを特色とした製品です。

~使用上の注意~
 熱湯を使用しないで下さい。ぬるま湯で洗ってから、すぐ柔らかい布で、から拭きすることです。たわし、クレンザー等で磨くと傷がつくことがあります。直射日光に当てると変形、変色する恐れがありますので避けて下さい。

産地PR・最近の取り組み、課題など:

江戸時代末期から近代にかけて職人たちが技法を受け継いできましたが、プラスチックの出廻り等により他産業への転向が相次ぎました。現在は、本物志向の風潮に相まって、大館の曲げわっぱは、多くの人に愛されています。

展示場
◆大館市物産協会展示場
 TEL 0186-49-1717
 〒017-0044 大館市御成町3-7-58 (株)いとく大館ショッピングセンター内
◆秋田県産業会館
 TEL 018-836-7830
 〒010-0001 秋田市中通2-3-8 アトリオン地下1階


指定年月日:
昭和50年10月16日
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# by grovewell | 2011-05-07 16:16


伝統工芸品を見直そう : 秋田県 秋田杉桶樽

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産地:
秋田県 能代市、大館市、八郎潟町、秋田市、横手市、男鹿市、北秋田市、湯沢市、鹿角市、上小阿仁村、五城目町、にかほ市、羽後町

歴史:
秋田市寺内にある高清水公園内の秋田城遺跡から、15~16世紀のものとみられる桶と榑の底板、取手類が発掘されています。 慶長17年(1612年)秋田藩家老「梅津政景日記」に、旧雄勝町の酒屋で桶が使用されていたという記録が残っています。旧角館町の青柳家には、文久年代(1830年)の手桶、おひつ、岡持が残っています。これは溜塗りで銅たが、竹たがが使われています。形状は現在のものと同じです。

特徴:
秋田杉を使った桶樽の歴史は古く、秋田城からは平安後期と推定される桶が見つかっています。
江戸時代の亨保年間には佐竹藩の保護のもと産地が形成、大量に生産されました。
 桶は柾目の材料を使い、竹・銅たがなどで締め、木底をはめた器で、おひつなどのように固定した蓋のないものをいい、樽は主として板目の材料を使い酒樽など固定した蓋のあるものをいいます。
 特に、天然秋田杉は年輪が揃っていて木目が細かく美しく、香りも良く収縮が少ないため狂いが生じにくい特徴があり、秋田杉樽桶の木のぬくもりは、生活に潤いと豊かさを与えてくれます。

産地PR・最近の取り組み、課題など:
秋田杉の桶や樽の製品は、秋田杉の香り、木目の美しさ、水分や塩分の調節等の独特の長所を、技術を受け継いだ熟練した職人が、特徴を手作業で最大限に引きだし、一つ一つ丹念に心を込めて作っております。

指定年月日:
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# by grovewell | 2011-05-07 16:15

    

日本をはじめとする世界中の自然や野生動物への想いを綴る。食文化、伝統工芸、絶滅危惧種保護、植林活動、畑仕事、音楽活動を中心に人と自然とのつながりを感じてゆきたいです。
by grovewell
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