長生村日記


映画『レイチェル・カーソンの感性の森』上遠恵子さんトーク+朗読付き上映会

<まえがき>
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私は正直この日記を公開すべきか悩みに悩みました。

結果、私自身青二才ではあるが、感じた事をそのままに表してみる事としてみました。

この日記本来の「学びの場」となるべく。

単純に考えれば単純明快な、

しかし何を善とし悪とするか判断するには私はまだ甘く、

複雑に考えればなんとも複雑な方向まで思考が行ってしまった。

例えば 人工物質=悪、天然物質=善  という簡単明瞭な見解では物事は語れないのかもしれない事を。

例えば原子力発電所(人工物質)は悪であるならば 
太陽光(天然物質)発電のパネル(人工物質)は善なのかとか。

しかし私は"自然の美しさや神秘さに目を見張る感性・センスオブワンダー"を忘れずに

無理やりではなく 投げやり でもなく 思いやりで  

自然に自然と歩み寄りたい想いである。

そこは紛れも無く  わたしを"わたし"という思いをなくさせてくれもする    非常に詩的な世界であるのだから。


『レイチェル・カーソンの感性の森』
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(2008 年/アメリカ/カラー/HD/16:9/英語/55 分)

監督:クリストファー・マンガー(『ウェールズの山』、『ガール・フロム・リオ』)
脚本、出演:カイウラニ・リー
プロデューサー:カレン・モンゴメリー、カイウラニ・リー
撮影:ハスケル・ウェクスラー

「彼女がいなければ、環境運動は始まることがなかったかもしれない」
ベストセラー作家としてのキャリアを重ねる一方で、一部のメディアや化学薬品産業からの批判にさらされ、苦難の日々を送っていた。晩年は癌を患いながらも執筆活動を続け、若くして他界した姪の息子であるロジャーに愛情を注いだ。遺作となった『センス・オブ・ワンダー』はロジャーに捧げられており、自然の美しさや神秘さに目を見張る感性を、いつまでも失わないでほしいという願いが込められている。本作で主演を務める女優のカイウラニ・リーは、このメッセージを伝えるため一人芝居『センス・オブ・ワンダー』の 脚本を執筆し、18 年もの間カーソンの最後の1年を演じてきた。本作ではカーソンが穏やかに余生を送ったメイン州の海岸にあるコテージに舞台を移し、豊かな自然の中でロジャーと過ごした日々を美しく再現する。

50年近くも前に、著書『沈黙の春』で放射能や化学薬品の危険性を告発したレイチェル・カーソン。
化学者であり作家であったカーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』を映画化した本作は、
現代を生きる私たちに向けられたメッセージであり、
自然の美しさや神秘さに目を見張る感性を、いつまでも失わないでほしいという願いが込められている。

(上記 UPLINK サイトより引用)

『沈黙の春』
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『センス・オブ・ワンダー』
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上遠恵子さん
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1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。長年に渡り、カーソンの生涯や思想を、環境教育・読書会・勉強会・セミナー・自然観察/体験などの諸活動を通じて広く社会に発信し続けている。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。

上映後は『センス・オブ・ワンダー』の翻訳者であり、レイチェル・カーソン日本協会の会長、そして本作の字幕監修者である上遠恵子さんをお招きして、本著の朗読を交えたトークが行われました。


<上遠恵子さんのお話を聞いて>
上遠さんの貴重なお話を直接御聴きする事が出来て本当に良かったと思いました。
戦争経験者の貴重な御言葉の数々、上遠さん自身が涙ながらに訴えていた「私が一番綺麗だった頃」、学生時代の青春の輝きを、第二次世界大戦によってその尊き時期を捧げなければならなかった事。
戦後、汚染した土壌の消毒の為に、自身もウジがわいた体や頭を洗浄する為にDDTを米兵により頭に振りかけられた苦しい思い出。それにより白髪になってしまったり、当時貴重な食糧(卵)を得る為に父親が飼っていた鶏に食べさせていた鶏のエサもDDTに汚染されていて、生んだ卵にはなんと殻がなくブヨブヨの薬品臭のする卵だった事。 それを我慢して食べていた事。通っていた学校も戦争が始まると次々に戦闘機の部品や点検をする為の機械が運び込まれ、学びの場がいつのまにか「工場」になってしまった事。
「工場」と化した学校の自分の机に貴重な食糧「お芋」を隠してあったがそれがネズミに全部かじられてしまって非常に悲しい思いをした事。モノの豊かさに恵まれた現在では経験する事はなかなかなくなった「ひもじさ」に対する痛烈な悲しみ。
二度と同じ苦しみを子供達に経験させてはならないという強い言葉。
DDTを今の放射能汚染に置き換えてみて欲しい、そして、今感じる正直な怒りとあってはならない、繰り返してはならない悲しみに対して、若者はもっと怒るべきだとおっしゃっておりました。


<私の"感じた"事>
死しても未だ尚、批判されたり非難されたりする事も多々あるレイチェル・カーソンであるが、彼女の残した作品の正当性うんぬんよりも、誰しもが言いたがらなかった「明らかなる不自然を批判する」という勇気ある行動とエネルギー、そして「明らかなる自然の方向への導き」こそが私自身の心が今、「明確な立場」を確立するに至って居る事を忘れてはならないと思った。「明確な立場」とはこの場合において、感じた心に正直である者の方を指すとしよう。
誰に何と言われようと、知識に武装された誰かに歪曲されようと曲げられる事の無い強い信念。

事実関係が全てではない。   

詩にはそれをも超越する真実が眠っている。

そう思わされた。     

レイチェルは紛れも無く詩人であると感じた。

レイチェルはたくさんの野生動物や植物の声無き声を心内に聞いていたのだろう。

そして彼等の心の声を代弁してくれたのかもしれない。

今一度 人間本意  の物事の考え方 を熟考すべきだとも思わされた。

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ここまでは私の感じた事そのままです。
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しかし一方では下記の様な興味深い記事もDDTについて調べていた所、発見したので、
載せておくと同時に今一度私の感じた事を熟孝せねばならぬ思いである。

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このDDTの最も効果をもたらした一つが、マラリア対策。
ハマダラ蚊が媒介するこの恐ろしい病気は幼い子供が犠牲になる。高熱を伴い、酷く苦しい病気であることが知られている。
例えば殺虫剤DDTがなかった頃の沖縄の南風見では、約四カ月間で、22人の児童を含む85人がマラリアの犠牲になり、感染者が波照間島へ戻ってさらに猛威を振るい、66人の児童が亡くなったらしい。
その沖縄にDDTが到着して、マラリアは退治されたのである。
それまで使われていた、「トリカブト」などの殺虫剤は昆虫にも人間にも、毒物だったので、人間には毒性を示さない、「量」に注意して使わなければならなかった。 でもDDTは人間の神経にはほとんど影響を与えず、昆虫の神経だけを攻撃するという性質だったから多用されるようになったのである。

ところが人間に対して毒性が低いということになると、人間というものは単純なもので、マラリアなどの退治に対してのみ慎重に使えばよいものを、大量に製造しヘリコプターから大地にくまなく散布するということを続けたのである。

やがて大地には昆虫がいなくなり、昆虫を餌にする鳥が少なくなり、春になっても鳥のさえずりが聴こえなくなった。そうなると、今度は人間が、ヒステリー状態になる。
「原因はDDTだ。DDTを追放せよ!」・・・かくして製造が中止される。

直接の引き金は、1962年に出版されたレイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」でDDTは悪魔の白い粉として評価が逆転してしまうのです。

その大きな要因として、農薬は使用されると分解して水や二酸化炭素などの単純な物質に変化していくが、DDTの分解物は非常に安定して分解しにくく環境中に長く留まり影響を与える可能性があり、また食物連鎖を通じて生体濃縮されることが分かったため。また極めて危険な発癌物質とされ、そのため、日本でも、1968年(昭和43年)に農薬企業が自主的に生産を中止、1971年(昭和46年)には販売が禁止され使われなくなった。
しかしDDTが使用禁止になったことにより経済的にも工業的にも弱体である国では有効な殺虫剤を失うことになり、コスト的に見合う代替品の入手が困難になったのです。
その歪みが顕著に現れたのがスリランカです。DDTのおかげで、一時期マラリアの罹病数が激減 m097 したが、結局散布中止で、罹病数が復活しています。
*下データはスリランカのマラリアの罹病数の推移です。


年                 罹病数
1946(DDT散布開始)  2,800,000
1961                  110
1963                   17
1964(DDT散布中止)        150
1966                  499
1967                 3466
1968            2,500,000
1969            2,500,000


ちなみに2006年9月15日のWHOニュースによると、世界で毎年5億人が急性マラリアに罹り、100万人以上が死亡しており、その制圧のためにはDDTを屋内に限定して使用すべきだと勧告しています。 *屋内散布はハマダラ蚊の潜む家の壁や天井や家畜小屋にまくことで家全体を覆う蚊帳の役割を果たし、外部の自然を壊さないというもの。

DDTの発癌性についても、国際がん研究機関による発癌性の評価は当初、グループ2Bの「人に対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類されていたが、その後の追試験によってグループ3の「発がん性の評価ができない物質」へと変更されています。


ここでは、レイチェル・カーソン氏が正しいとか間違っているとか、あるいはDDTは安全かという一つの事象を問題視したいわけではありません。
レイチェル・カーソン氏は大学院まで生物学を学んではいるが、作家であり、その観察眼により警鐘を鳴らしたことは非常に重要だったと思います。

しかしそもそもDDT使用の目的は発疹チフスやマラリア対策です。

先進国ではそのおかげで激減したし、DDT中止後も代用品によって問題は解決したようです。

一方で発展途上国ではさらに40年以上もその被害で苦しんでいる現実が厳然と存在しています。(マラリアでの死亡者の86%がサブサハラ・アフリカの人)


しかもDDTの中止によってその後の自然保護が実現したと言えるかどうかは、現状からすると疑問で、むしろ発展途上国においては、先進国によって自然は破壊され、さらに病気も減らずという二重苦にさえなっている気がします。

そういう意味では環境問題のさきがけと言われる「沈黙の春」を取り巻く社会的な背景とその後の環境運動へのつながりを探り、”自然の摂理で環境を考える”ことがどんなことなのか、探索してみたいと思います。
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という記事を拝読させて頂きました。

共存とは自然界にとどまらず人工物も含めて考えるのが現実なのかもしれない。

ああまた私は知ってしまった。  

知る事よりも感じる事の方がずっと大切な事だというのに

しかし知る事が出来るからこそ失われて行く洞察力と
本質を見極める力を養わなくては感じる心が殺されてしまう。

私自身が常に考えられうる多面的な側面の立場に立てる心を持つ
己の哲学を追究して行く身なのであるならば

「明確な立場」を守りつつも  「逆の立場」に立つ必要もあるのかもしれない。

生きる事が許されなければ  考える事も  詩を紡ぐ事も許されないのであるから。

もしも 目の前で  苦しみ死んで行く子供達を見ていたら  

助けたいとは思わないか?

それとも  それも自然の摂理だと言って  だまって見ているのだろうか?

人間本意と  自然との共生   相対する永遠のテーマの中にも複雑な人間の深層心理が含まれている。

人が人を助けたいと思う気持ちは   人であるならば肯定して行きたい

要はそのエネルギーがどのような方向に流れてゆくかではなかろうか。

善意から生まれた発明も   悪意によって本来の性質を失う事が多々ある様に。

今は只 利己的では無く 自然と人が 人と自然が 歩み寄る方向を望んでいる。

やはり  無理やりではなく  投げやり  でもなく  思いやり  で

文明は衝突してばかりではなく 融合をしているのであれば

人に引かれた線を隔ててではなく 
もっともっと根本的な歩み寄りが必要なのかもしれない

1から2をつくり出す事は容易かもしれないが

0から1をつくり出す事は既に文明に溢れた現代の僕らには難題である

しかし   先住民は 0を知っている  

そして  1が100になり 1000になり  再び0になる事を人間が拒む事も知っている

今の自分の生活に必要な文明とは何なのか

そして不必要な文明とは何なのか

夜も明るい都会では いやがおうにも 過多な文明に頼らざるおえなくなっている

人がつくり出した悪意なき文明に価値を与え、利権を牛耳る者に対する疑問と怒りを

正直になって 洞察し熟考し、行動すべき時が来ていると 我ながらの生活を省みる次第である

生かされている事を感じながら


今日の一言:

先住の民よ  どちらの道だ?

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by grovewell | 2011-10-27 13:35

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